齢と香り
「折り入って相談したいことがある」と、高校時代の恩師から連絡があったのは、金木犀がほのかに香る初秋のことだった。
何の相談だろうと思いながら、自宅に伺った。
三年前に開かれた先生の喜寿を祝う会以来の再会だった。
先生は、その時より少しほっそりしていたが顔色もよく元気そうだった。
「確かお前は、老人福祉関係の仕事をしていると言っていたな。年寄りのことを良く知っていると見込んでの相談なんだが・・・」と、あいさつもそこそこに切り出された。
「歳をとるとな、だんだん目と耳が遠くなる。だがな、これは老眼鏡や補聴器でなんとかなっておる。だが近頃、匂いや香りを感じないようになってきた。これは認知症の始まりか」と、一気に話し、探るように私を見つめられた。
確かにある型の認知症は、初期から匂いや香りの区別能力が衰える。
先生は嗅覚の衰えをその認知症の発症ではないかと疑っておられた。
私は、そのことだけでは認知症の始まりの可能性は低いことを説明したが、納得した様子ではなかった。
そこで、専門医の受診を勧め、私の知り合いの医師に診てもらうことになった。
受診結果は認知症を疑う所見はなかったが、嗅覚はかなり衰えていた。
先生はホッとした表情を浮かべたものの寂しそうだった。
「これからわしは、匂いや香りを失っていくのか」。
かける言葉がなかった。
次の休日に先生を訪ねた。
やはり寂しそうだった。
私は部屋の片隅にあった何も書かれていない小さな黒板とチョークを無言で差し出した。
先生も黙って受け取り、その黒板に私が高校生のときに教わった漢詩を板書し始めた。
書き終わると、先生は目を閉じて黒板を鼻に近づけた。
「チョークと黒板の香りがする。この香りはどんなことがあっても絶対に忘れん。」
老いは、匂いや香りを薄れさせていくかもしれない。
しかし、齢は人生の大切な香りを決して忘れはさせない。
恩師からまた教わった。
<了>