一億総批判家〜我々は何に服従しているのか?〜
【問1】「忖度」の責任はどこにある?
我々はどうしようもなく批判が好きらしい。
アメリカ大陸では、特定の政治家を支持する集団が街を練り歩くが、
日本列島では、特定の政治家あるいは政治全体を批判する集団が街を練り歩く。
戦時下でも、平和下でも、コロナ下でも、
「上司批判」と「政治批判」はお盛んだったらしい。
部下は上司を、上司は部下を、
子は親を、親は子を、
若者は老人を、老人は若者を、
大衆は人を、人は大衆を、
批判せずにはいられないらしい。
従順に見せかけては見下しておいて、
批判しながらもきっちり服従している、
我々の、「支配者」は、一体何だというのだろう?
神かと問うと、無宗教だという。
天皇かと問うと、象徴だという。
政治家かというと、クズだという。
社長かというと、金の亡者だという。
上司かというと、無能だという。
己かというと、信用できないという。
それじゃあ、と仕方なく抽象概念を挙げて、
自然現象かというと、脅威だといって防災減災に勤しむし、
同調圧力かというと、撲滅すべきだという。
「みんな」かというと、だがお前じゃないという。
ああ、この奇妙な島民たちよ!
お前たちは一体何を認め、何におもねり、何に従い、何を信じ、何を愛して生きているのだ?
解1.「忖度させた(支配する)」方なのか、「勝手に忖度した(支配される)」方なのか、議論は尽きない。議論を重ねるうちに、「そうさせた」"システム"、"空気"、"同調圧力"と人外のものによる強制力が作用したとして、それらに責任を負わせることのできる、素晴らしい言葉。
参考文献:ルーズ・ベネディクト「菊と刀」
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