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UNSW 保苅実記念奨学金制度についてのご報告

2024年は、保苅実にとって、私にとって、つながる会にとって大きな節目になります。大事なご報告が2つあります。超長文です。

まず、保苅実著作集(全2巻)の刊行予告がでました。Book 1はエッセイを中心に Book 2は論文を中心になっています。すべて発表済みの原稿なので遺稿集ではないのですが、こうやって著作集として二冊にまとまるというのはとてもいいものです。

さて。

20年前に設立された、ニューサウスウェールス大学(UNSW)インターナショナルハウス(IH)の保苅実記念奨学金制度ですが、昨年12月末に基金残高をすべて、オーストラリア国立大学(ANU)保苅実記念奨学基金に移しました。これから、保苅実の名を冠する奨学基金はANUのみに存在することになります。

これまでに経緯をご報告してきたとおり、2016-17年に起こった大学組織改編により、奨学金制度の設立以来のIHの校長 Dr. Lundyと連絡がつかなくなりました。2019年4月に後任のDr. Jacksonになんとかたどり着いたものの、Dr. Lundyからの引き継ぎは一切なく、ほとんどの記録は手元にない、と言われました。私の記録にある最後の受賞は2014年ですが、それ以降の受賞者はいないとのこと。2020年から奨学金授与を再開したいという返事があったきりで、Dr. Jacksonは退任していたことがわかったのが2022年1月。

そして、新任のDr. Griffithsとようやく連絡がついたのが、9ヶ月後の10月のことです。Dr. Griffithsにまた最初から奨学金制度の説明をしなければならなかったということは、Dr. Jacksonからの引き継ぎはなかったわけです。

いったいどういう組織なのかと、呆れ返りました。それともオーストラリアという国なのか、オーストラリア人なのか、大学特有なのか、それともこれらの校長個人の問題なのかは、未だに不明です。

Dr. Griffiths は彼女の権限でできるすべてのことをやり尽くしてくれました。校長である彼女ですら基金に関する銀行口座情報にはアクセスできないということで、IHの理事長であるGarry Browneにつないでもらい、質問要項を含めて連絡を取り始めました。しかし、2007年にはA$51,000残高があったにも関わらず、記録はすべて消滅し、いくつかの奨学基金を合わせた全額20万ドルの内訳がわからないからと、A$40,000で再開することを提案されます。冗談じゃありません。2023年3月のzoom meetingで、この提案をはねのけたあとに、保苅実奨学基金残高が2017年時点でA$71,257だったという確認がとれたことは、去年7月にご報告しました。

当然です。人は嘘をつきますが、銀行の口座報告書は嘘をつきません。

2015年以降は奨学金は配布されていないので、その後の運用益を含めた現時点での基金残高が明らかになった時点で、この奨学金制度を復活させる予定でした。

その後、また数ヶ月の間なんの連絡も進展もなく、Dr. Griffithsの立場でこれ以上できることはないとなり、いよいよの方法としてUNSWのCFOに連絡をとったのが10月4日、私が日本に帰るちょうど1週間前です。そのすぐ翌日に、いけしゃあしゃあと銀行の口座記録が送られてきたのですが、驚くべきことに、2016年に奨学金用としてA$1,000が引き落とされているではないですか。そして、残高の変化から計算すると、基金はわずか複利0.5661%でしか運用されていませんでした。ちなみに、ANUではこの20年間平均7%の運用率を出しています。

その数日後、日本へ発つ直前に、私は基金を全額ANUに移すよう要求しました。

すると、3日後に、なんと2017年の残高$71,258に、その後4.5%の利息を「補填」してA$92,796でどうか、と提案してきたので、私はキレました。

ばかにするのもいい加減にしてもらいたい。私から具体的な質問には一切答えず、ANUに移すと脅されて初めて、補填すると言いだしたわけです。この提案には沈黙し、私は日本での三週間の滞在を満喫しながら、どうするかを考え続けました。

私は決して忍耐強い人間ではありません。筋が通らないこと、まがったことは大嫌いです。私には珍しくも、この騒動にこれだけの時間がかかったのは、返事がなかなかこないとわかっている相手にどう対応するのが効果的か試行錯誤していたからです。私がいつか諦めるとでも思っていたのでしょう。卑劣な手法です。

日米豪という文化の違いを配慮し、保苅実記念奨学金が若い世代の教育を支える道を選ぶべきかと悩みました。Dr. Griffithsとなら再出発できるだろうとも思いました。が、次の校長も彼女のような人とは限りません。

ところが、11月に入ってアメリカに戻り、更に銀行口座の記録を精査すると2016年末から2017年10月までのどこかでもまた突然A$1,000分残高が減っていたこともわかりました。合計で2年分の奨学金が引き出されていたわけです。が、誰がそれを受け取ったのかの記録がない。

国の教育を施す大学機関にある記念奨学基金を管理運用する組織として、あるまじき姿。そんな連中に、ミノルを想って世界中の人が寄付してくださった基金の運用を任せるわけにはいかないと、思いました。ミノルの基金は、遺族が出資して立ち上げたものではないのです。そんなありきたりの単純なものではなく、彼の人生に触れた友人と同僚と先生方と、そして「ラディカル」と写真展図録の読者の想いの集合体なのです。基金は保苅実の生まれ変わりだと思って、私は援助し続けてきました。

私の怒りと嫌味と脅しに満ちた最後通告は、ミノルの友人であるRay Taussの手によりプロフェッショナルな文体に変貌し、12月2日に先方に送信。先方の反応次第では、オーストラリア政府機関に不正運用の疑いを通知する準備もしていましたが、数日後に全額A$92,796をANUの基金に送金することに合意するという返事を受け取りました。12月20日に、ANUの担当者から口座に入金した旨の連絡が来て、ほっとしたことは言うまでもありません。

ちなみに、ANUの奨学金はANUの学生だけを対象にしたものではありません。オーストラリア国内の大学で学ぶすべての学生が応募することができますから、UNSWの学生にも門戸を開かれている旨、Dr. GriffithsとCFO, Libby Stratfordに伝え、私はUNSWとの縁を切りました。

先日、ANUの担当者とzoom meetingをしました。

2021年12月の残高がA$192,029.82だったANUの基金にUNSWからA$92,796が追加されました。追加基金はこれから一年既存基金と一緒に運用されて、2025年から拠出を始めます。2023年の受賞者は先住民のある学生に決まったのですが、家庭の事情で授与を辞退すると申し出たので、秋学期から研究を再開できることを期待し、授与を半年間保留することとなりました。そして、順調に成長した既存基金は、2024年からフィールドワーク対象の奨学金を二人分合計A$10,000、拠出します。2025年からは、これに加えて先住民学生向けの奨学金を始めます。

最後に。”Gurindji Journey”の印税は、出版社から直接ANUの基金に送金されるように契約書と本書に明記した通り、毎年ANUに送金され、これまでの合計がA$3,350.86、と確認できました。

新しい出発です。皆様の応援と支援に感謝します。これからも頑張ります。

保苅由紀


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