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パブリックヒストリー研究会からの残念な回答。#保苅実

トップの写真は、テッサ・モーリス=鈴木氏のアレンジにより、オーストラリア国立大学キャンパス内 Coombs Courtyard に記念樹として植えられたゴムの木の銘板です。

大きな木に育ちました。

2023年12月26日にパブリックヒストリー研究会が主催する第16回公開研究会「保苅実の遺産:アボリジニ先住民の歴史実践を共同想起する」が開催されました。保苅実の名前をつかった公の公開研究会でありながら、私にも、つながる会にも、開催の連絡がありませんでした。

このあと、 岡本充弘氏より8月26日に正式回答をいただきました。

「つながる会」としては、保苅実関連のイベントに関して、保苅実が周囲の研究者達から「必要ない」と言われていたにも関わらず、ジミーじいさんたちに ”許可” を求めた事実と、これまで保苅実関連のイベントを開催された方々から ”許可” をもとめられたこと、開催後のご報告までをもいただいたことを合わせて考えています。

学術論文の草稿を「インフォーマント」に見せてその承認を得る、という考えに対しては、研究者の中で、賛否両論さまざまな意見がでた。ある人類学の教授は、グリンジのオーラル・ヒストリーに関する私の分析は、あくまで「私の分析」であるので、グリンジの人々の承認は必要ない、と強く主張した。また別の同僚は、僕がつきあったグリンジの長老たちは、しょせん私の論文を読むことはできないし、学術的な議論を理解できるわけでもないので、私の試みは単なるリップ・サービスに過ぎないのではないか、という疑問を向けた。その一方で、私の試みに全面的な支持を示してくれる人々も多数いた。草稿をグリンジの人々にみせる、というアイディアに賛成してくれた支持者達は、たとえ私の分析は、私に帰属しているとしても、そこで利用された歴史物語りは、あくまでグリンジの人々のものである、という点で一致していた。かれらの物語りを私がどのように利用したのかについて、グリンジの人々は知るべきであるし、不満があれば私に意見すべきである、と。

「ラディカル・オーラル・ヒストリー」
(御茶の水書房版 pp.240-241 岩波現代文庫版 pp.273-274)

「私が、世話になったグリンジの長老たちに草稿をみせるというアイディアに固執したのは、今後研究発表をしてゆくうえで、そのほうがはるかに安心と自信をもてると思ったからである。オーラル・ヒストリーを語ってくれた長老たちに、かれらが望むだけ、できるだけ詳しく私が加えた分析の内容を説明する。承認が得られるかどうかはともかく、そのことをしないで不安になるよりは、試みたうえでかれらと交渉するほうが、ずっとましだとおもったのである。もちろん、世話になった長老たちへの礼儀として、こうした訪問の倫理的必要を感じていたこともまた、いうまでもない。」

「ラディカル・オーラル・ヒストリー」
(御茶の水書房版 p.241 岩波現代文庫版 p.274)

一方、パブリックヒストリー研究会は、アカデミックな世界のルールに基づき、そのような許可など求める必要はないと頑なに主張されています。しかも、我々のスタンスが、なにかおかしいものでもあるかのような回答を繰り返し寄せてきています。

尚、写真の件については、あくまで "Gurindji Journey" の書影はネットで手に入ると主張されていますが、研究会で使用されたものは書影に使用された写真だけではありません。他にも二枚の写真があるはずです。この点についても、研究会は非常に不誠実な回答を繰り返しています。

「ラディカル・オーラル・ヒストリー」は、ただの研究書ではありませんし、大学の授業用教科書として書かれた一冊でもありません。あと数ヶ月の命と告げられた保苅実が念入りに計画し、狭いアカデミックな世界を越えたすべての人々に伝える力をもった本として書かれました。読む人によって、いろんな読み方感じ方ができるからこそ、著者を失くした「ラディカル」がこの20年間、深い大きな旅を続けることができたのです。

保苅実が、歴史修正主義に対してとった態度と同様に、つながる会は「faithful(誠実な)という意味とtruthful(本当の)という意味を合わせて」彼が使った「truthfulness(真摯さ)」という言葉が示すもの、目指すものを大切にし、これからも活動してまいります。

保苅由紀
保苅実とつながる会


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