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ia19200102
読むの話し
読むことに黙読と音読がある。朗読もある。
私は国語の授業は好きであったが、小学校にはよくある
音読が好きではなかった。
物語りは耳に入れたくなかった。
あれは目から入れて自分一人で咀嚼して消化吸収排泄したいといつも思っていた。
耳から入れるのは音楽が良かった。
歌が良かった。
音読を披露する、させる、それを聴くの意味がわからなかった。
音読も一人でするものだと思っていた。
宿題としてこなす理由も良くわからなかった。
それなら朗読を教わるほうが楽しかったかもしれない。
昨今、オーディオブックなるものが人気らしい。
それに対し「感情を乗せて読まれていない」という声があったそうだ。
とんでもないことだ。
驚きと怒りを感じた。
驚きと怒りは、音読は一人でするものだという価値観のようなものからきているかもしれない。
しかし、目の不自由な人が利用するなら尚更だ。
余計な装飾をつけてはならない。
読み手が(聞き手が)受け取る自由が減るではないか。
オーディオブックは音読でなければならない。
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