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ほほえみ



林のように静かで
山のようにどっしりと見守ってくれる人でした


山梨県出身の日本史好きなおじいちゃんにぴったりな精進落とし前の挨拶だった



自然が大好きだったおじいちゃん
ちょうど新緑が芽吹く季節だった

私が海外から帰国して2日後だった
私が日本に帰って来るまで待っててくれたのかな



半年前余命宣告をされた後、
初めて電話した時
自分のことは何も話さなくて
ただ、おばあちゃん寂しいがり屋だから
たくさん電話してあげてとだけ伝えられた

この半年間、目を向けることが怖くて
あまり電話もしなかったし
3回しか会いに行かなかった
あまり大事に捉えなくていいと言ってくれることに私は甘えていた



でも3月末に会いに行った時
このままじゃ、私が後悔すると思った
私は直接伝えることが苦手だから
手紙を送ることにした
自然が大好きなおじいちゃんだから
私の写真をポストカードにして送った

おいしかったご飯の話や
撮った写真の思い出とか
たわいもないことを書き送った

結局印刷した13枚全てを
送り切ることはできなかった
でもお返事をくれた言葉は
今の悲しみに明け暮れる私を
前に進める力がこもっている


本当に大好きだった
家族の中でも、特別な存在だった

どんな時も穏やかで優しく
見守ってくれる人だった
人に気を使わせず、
それでいて安心感を与えてくれる人だったなあ
病気になっても、遊びに行くといつもと同じように暖かく話してくれる人だった

良心や、今の自分を形成している
アイデンティティは
おじいちゃんからもらったものだと言っても
過言ではない



小学校から高校生までの12年間、
ほぼ全ての運動会に来てくれた
そして毎回撮った写真を
焼きましして送ってくれた
そしてそこには必ず手紙が添えられていた

家に遊びに行くと毎回1冊本を
買ってもらっていたっけな
私も真面目だから、
日本史の本とか買ってもらってた
今でも大切にしている本がたくさんある

思春期の時期は自分の中で
整理がつけれらないことを
手紙にして送っていた
するといつも寄り添ってくれた
あしながおじさんみたいな存在だった

年に数回は一緒に旅行に行っていた
山や自然が大好きな
おじいちゃんおばあちゃんだったから
たくさんの自然や植物に触れる機会をくれた
幼少期の楽しい思い出はおじいちゃんおばあちゃんとの思い出と多く重なる

大学受験の時、小論文対策で
天声人語を新聞の切り抜きとして
送ってもらってたな


大学生になったら一緒に奈良に
行こうと約束していたのに行けなかった

3月会いに行った時、奈良の地図を見ながら
行きたいルートを一緒に考えた
自分はもう行けないから
今度行ってみてと言われた
ああ、その時はいなくなってしまうなんて
全く実感なかったな


もう会えないし、話すこともできないし、
名前を呼んでくれることない
自分のペースでいいんだよと
背中を押してくれる人もいない
今は悲しみでいっぱいだけど
でもその悲しみの涙は
後悔の涙ではない

自分を構成していた一部を失ったような感覚
でもこの悲しみは心地悪いというわけでもない



きっと、ずっとどこかであの微笑みで見守っていてくれる気がするからかな
よく、お釈迦様と同じ場所にほくろがあるんだと眉間を見せてきたから
本当にお釈迦様になってしまうような気もする

最後にくれた手紙にはこんなことが書いてあった

富士山のポストカードのお返事

教えてもらったたくさんのことを胸にしまって
自分の原動力にしていく
それが何よりの恩返しだと信じて




書くことを教えてもらったことは
ずっと私の財産だから
今年は(も?)たくさん書いていきたいし
素敵な言葉にたくさん出会っていきたい




私頑張るから
遠くで見守っててくれたら嬉しいな




今までありがとう

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