その時紹介してもらったのが、永井玲衣さんの「水中の哲学者たち」だった 表紙がそれこそ川の流れのようで素敵だな〜と思い、家に帰ってすぐにAmazonでポチった 読み終わって私は、永井玲衣さんの世界にもっと入りたいと思い、玲衣さんのXをぼーっと調べてたら、代官山蔦屋でイベントがあるとのこと 日程もいける、場所もいける なんか直感が行きなと言っている 私は気づいたら申し込んでいるのだった 講演会はあっという間だった 書く人たちの言葉って、音色みたいだなと思いながらあっ
また行きたいと思える場所って ありそうでない、と思う 旅を振りかえって、よかったなとか、楽しかったなとか、また来たいなとは思うけど、家に帰ってきて、よしまた行こうと本腰をあげるのはなかなかハードルが高い でも今回は、すでに帰りの新幹線で 次いつ行くかの計画を立てていた 私にとって、夏の郡上はそんな街だったのだ さあ次は、どんな景色が待っているのだろうか
※記憶があいまいなところや、ネットの情報と照らし合わせ等をしていないため、実際と異なる場合がある可能性があります 先日、映画『ラストマイル』を見てきた 見終わった後の第一声は「いやあ、すごかったね」だった 見た直後は、あまりにもいろんな感情がひしめきあっていて なにがどのように"すごかった"のか頭が理解していなかったが とにかく"すごい"作品だということだけは頭が理解していた いくつかの観点で振り返ってみた 以下ネタバレあり "はたらく"とは今回の映画の1つのテーマ
幼い頃の記憶って、鮮明だ 私の夏の思い出と小淵沢は強く結びついていて、 暫く訪れていなくてもどこか遠くで見守ってくれているような、そんな場所 15年ぶりの再訪は 記憶との答え合わせと未来への約束だった 記憶の中で美化されて続けていたピーマン通り 久しぶりに訪れる高揚感と、変わってしまっていたらという焦燥を感じていたが、私が大好きだったピーマン通りは変わらずそこにあった 親戚のお家でいただいたとうもろこしとトマト 他にもたくさん料理を振舞ってもらって、 昔の話をたくさんして
言葉に書き起こすことで整理できることは多いが、たまには無理に書き起こさずに写真で振り返ることも良いのかもしれない 海より圧倒的に山派 桜が散っても草木の華やかさは健全 束の間の休息は心の休憩 結局地元と家が1番 たまにはあえて都市に行くのもよい たまにね
林のように静かで 山のようにどっしりと見守ってくれる人でした 山梨県出身の日本史好きなおじいちゃんにぴったりな精進落とし前の挨拶だった 自然が大好きだったおじいちゃん ちょうど新緑が芽吹く季節だった 私が海外から帰国して2日後だった 私が日本に帰って来るまで待っててくれたのかな 半年前余命宣告をされた後、 初めて電話した時 自分のことは何も話さなくて ただ、おばあちゃん寂しいがり屋だから たくさん電話してあげてとだけ伝えられた この半年間、目を向けることが怖くて あ
忙しなくすぎていく日々の中で、気づいたら1ヶ月終わっているということがよくある 体はご飯食べて寝たら回復するけど、心の疲れというのは、目に見えないし気付けない。だから最近は定期的に心のリフレッシュを心がけている 心のリフレッシュを 個人的に短期的潤しと長期的潤しと定義し、区別している 短期的潤しは、飲み会や昼まで睡眠のようにその瞬間の欲求を満たすこと 長期的潤しは、写真を撮ったり本を読んだり映画や展示を見に行くこと 最近はこの長期的潤しを意図的にするようにしている
まだまだ全然うまく撮れないけど 日常に寄り添えるカメラだから 気軽で楽しい
初めての東南アジア 初めての日本語も英語も通じない場所 初めての発展途上国(と言うべきかわからないが) 半年前から決めていたこの旅はすごくワクワクしていて、4年ぶりの海外旅行だったのでようやく行けるという感覚だった バカンス旅するつもりだったが、良くも悪くも精神揺さぶられる旅になった 言語のことイギリスに8ヶ月住んでいた 8ヶ国海外旅したことがある 私はこの事実によって 自分は海外でも何なく生きていける 英語が話せれば世界を旅できる そう思っていた でもベトナムに
わたしは万年筆にちょっとした思い出がある きっとそれは、私と彼だけのちょっと特別な約束なのだ 私が初めて万年筆という物の存在を知ったのは ある人からの手紙だった そう、おじいちゃんからの手紙 おじいちゃんと私の関係を一言で表すのであれば 文通友達 おじいちゃんは筆まめな人だ 事あるごとに手紙を送ってくれる 毎年見に来てくれていた運動会の後は 撮った写真の焼き増しと共に手紙が添えられていた おじいちゃんの手紙はいつも縦書きで 青色のインクで文字が書かれていた 万
「考える」ことと、「感じる」ことは別だ 今まで私が認識していた「考える」というのは「感じていた」だけだったのかもしれない 相手のことを思って行動しても、それはただの傲慢なのかもしれない。相手のことを思って行動してる自分に酔っているだけかもしれない。 考えることに終わりはない。 考える先に正解もない。 頑張っている自分に満足したその瞬間、成長は止まる。 もう来週からは新人じゃない。 全てのことが2回目になる。 どんなに技術が発達しても 人に寄り添うことは人間にしかで
私はいい子ちゃん。 先生や親の言うことに反抗したことはほとんどなかったし、いわゆる優等生でした。教科書に書いてることを教科書に書いてある通り進めるような子で、宿題は忘れたことないし、テストはいつもほぼ満点。いつもリーダーばかり任されてたし、雑巾は忘れるであろう子のためにいつも多めに持っていっていました。 小学生の時は、真面目だね、優等生だね、と言われてしました。親子面談では、先生に「どうしたらこんな素敵な子に育てられるのか教えてください」と言われるような子どもでした。努力す
香りは保存することができないし 写真のように誰かと共有することはできないけれど ふとした時に思い出す記憶は 香りがきっかけで呼び起こされることがある 春の香りは出会いと別れを呼び起こし 夏の香りは合宿の緊張感を呼び起こし 秋の香りは文化祭と運動会の高揚感を呼び起こし 冬の香りは寂しさと人のぬくもりを呼び起こす 理性よりも感性が先に働くのが香り なんかいい香りだな、なんか落ち着くなって それは人によって異なるし タイミングによっても異なる 香りってうまく言葉で表現でき
お父さんのことをnoteに書くなんてね 私はお父さんがずっと怖かった それは父親としてもだったけど それ以上に、絶対に超えられない存在だったから 平日はお父さんの顔を見たことがなかった それくらい朝から晩まで働いていた 仕事だけでも大変そうなのに いつも新しい学びに貪欲で、成長を止めない しかもすごく楽しそうに学んでいる 人生何周目?ってくらい知識が豊富だ 勉強の意義とかよくわからなかった当時の私は なんでそんなに勉強するの? 外で遊んでた方が楽しいじゃんって思ってた
8月15日 この時期になると、毎年戦争に関するテレビを観て今一度考え直す 最近旅について考える機会があり、2年前のヨーロッパ旅行がダークツーリズムだったなと思い、当時の日記を読み返した ↓ アンネの家@アムステルダム アンネ、そしてアンネの父オットーの気持ち、それは被害者側からみた歴史。実際隠れ家に行って、その狭さと足音を立ててはいけないだと多くの規制によるストレスの中での生活。アンネの小説家、ジャーナリストとしての夢を、死後2年後父親であるオットーが叶えた。1人の