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米やめました③ 栄養指導と食品交換表

管理栄養士から受け取った「1日のお食事の目安量(1600kcal)」と題されたこの表によると、1日に私が食べられるものは次のとおりである。

1. ご飯:1食につき100-150g、これは絶対
2. 果物:1単位(80kcal)、だがあまりおすすめはしない。イチゴとかいいかもね(私「高いよ」)
3. 魚介類:80g、肉類:60g、卵類:50g、大豆製品:140g、チーズはこの部類
4. 乳製品:200g
5. 油脂類:15g、豚バラ・胡麻・アボカド・ナッツはこの部類として計算
6. 野菜類:緑黄色野菜100g+その他の野菜250g
その他:砂糖4g、味噌12g、芋類(ご飯として計算。レンコン、とうもろこし含む)、海藻・きのこ・こんにゃく類
それから酒類は週2日の休肝日、または1日1缶500mlまで

その場ではわかったような気になったものの、帰宅後に表を見直すとよくわからないのである。毎食1~6全てを食べる計算なのか? カロリー制限が目的なのだが、この重量は何kcal相当なのか? 等々の疑問が沸騰し、この表はこのままでは使えないと判断した。

つまるところ、この表は食品交換表をリダクションしたものだろうから、食品交換表を手に入れれば理解できるかもしれない。

目当ての食材が手に入らない場合には、同じ表の食材(この場合の「表」とは、炭水化物、果物、タンパク質などの食材の種類を指す)で交換可能というのが交換表の主旨だ。つまり交換表が手元になければ、管理栄養士の表も謎だらけで運用できない。

最初は簡単に見つかるだろうと高を括っていた私は、間もなくネット上の食品交換表に関する情報がいずれも古いか、断片的であることを知る。結局、最新の第7版のブックレットを取り寄せることにしたが、その冒頭に掲げられた「著作権保護のお願い」にまず目が行った。

色々と理由は書かれているが、糖尿病患者ならば誰にとっても有益な情報であるならば、なぜこのような形で独占されなければならないのか? 編著は「一般社団法人日本糖尿病学会」、発行者は「公益社団法人日本糖尿病協会」とある。類似した法人名が二つ並んでいることも奇妙に感じたが、この時点ではネット上で糖尿病学会に関する悪い噂を幾つか観測するに留めた。

数字なら任せろとばかりに、食品交換表をベースにスプレッドシートでレシピを構築することも試みた。1600kcalという具体的な数字があるのならば、自分の得意料理をこれに落とし込んで行けばよいではないか。だがこれも言うほど簡単ではなく、間もなく挫折する。

飲食店や病院のように安定した仕入れ先がなければ、希望の食材が年中手に入ることもほぼあり得ないので、レシピを書いても台所に立つ度に再計算しなければならない。さて腹減ったから料理でもするか、という段階でスプレッドシートを開いていてはとても完成まで辿り着かず、志半ばにして泣きながら煎り大豆など齧る他なくなるのだ。

食品交換表の大部分は、1単位80kcalに相当する各食品の重量(調理前)である。例えば魚であれば、あんこう、うまづらはぎ、えい、きす、キングクリップ、ぐち、しらうお、たら、どじょう、はぜ、ふぐ、ホキ、メルルーサ、わかさぎの各100gが1単位に相当する。以上、100gグループの中で、我が家の近辺で日常的に見かけられるのは鱈ぐらいであろうか。ホキ、メルルーサに至っては何ものなのか知らぬ。

魚は他にも80g、60g、40g、30gの記載があるが、一見して数値が大雑把だなあ、本当かよという印象である。プログラマー気質の人間ならば、これらの数字の正確性が気になり始めて軒並みフリーズすることだろう。

現在は食品の栄養成分をネットで詳細に調べることができる。さて交換表に記載されているのは当然ながら調理前の重量である。毎回しつこく計量していれば、やがて目分量で料理できるようになり、週または月に1回、計量すれば目分量の起動修正ができる、との主張である。

食品の水分量は調理法によって大きく変化するので、例えば寸胴にカレーを作って毎食に適量ずつ食べるつもりならば、調理による水分減も把握する必要がある。実際にやってみたが、自宅の料理用スケールでは対応しきれなかったので、完成品を別の鍋に移しながら積算することになった。

食品交換表には、1日の指示カロリー4パターン(1200/1440/1600/1840kcal)に対して炭水化物の割合3パターン(60/55/50%)を掛け合わせた合計12パタ―ンのカロリー配分例も示されている。もはや馬鹿馬鹿しい上に、著作権で絡まれてもなんなんで詳細は省くが、1600kcalで炭水化物60%の場合、1日の指示単位は表1~6+調味料で「10, 1, 4.5, 1.5, 1, 1.2, 0.8」であり、朝は「3, 1, 1, 1.5, 1, 0.4, 0.8」、昼は「3, 1, 1.5, 1.5, 1, 0.4, 0.8」、夜は「3, 1, 2, 1.5, 1, 0.4, 0.8」、間食は「0, 1, 0, 1.5, 0, 0, 0」と配分すべきとのことである。

あくまで一例と言うが、病人はここから導出される決まり切った飯を食えと下賜する思想が仄見えてしまうのは私だけだろうか。また何と言っても糖尿病の食事療法を謳いながら、炭水化物(米)に対して異様に事細かに配慮する本末転倒ぶりも不可思議である。というかそれこそが諸悪の根源なのだが。

外食については、現代の生活において避けることは恐らく不可能だが、問題点を把握した上で取り入れましょう、とのことである。「すべてが悪いわけではない」ということは、いくらかは「悪い」と考えている様子が目に浮かぶ。

そして実際の取り入れ方としては、日ごろの修行で培った計量の力を総動員して概算し、何をどれだけ食べればよいのか決めましょうと言う。事前に自分で作ったことのない料理に関してはほとんどお手上げではないか? 料理の見た目だけで店のレシピをリバースエンジニアリングできる能力なら是非身につけたいと思うが、もはやプロの領域である。

もし旅先でそんなことをしていたら、折角の旅行気分も台無しだろうが、元より病人に旅行など贅沢だという考えかも知れない。誰かの苦しみは他の誰かにも一律に味わわせる、という思想は実に日本的である。

献立に多様性を持たせて飽きさせないことで「根気よく続ける」(序文)のが主眼のようだが、多岐に亘る献立を精神論で回していけというのは、現に運用している人には大変申し訳ないが、いかにも日本的な机上の空論と思える。

何はともあれ、毎食ごとに食品交換表を開いていては台所に辿り着くことも叶わないので、数日分の献立をまとめて設計し、正確無比に実行するというのが正しい運用方法ではないかと思う。加えて仕入れも安定していなければならない。栄養士ならまだしも、患者が自分で運用するにはどうにも無理がある。

余談だが、「表1」に「ナン30g」と書かれたのを見つけた時には笑った。どの店に行ってもあの巨大なナンの、ごくわずかな切れっ端である。これはもはや意味がない。というか我が家ではかつてはアタ(全粒粉)をこねたロティが定番であった。これも先のインド出身の友人に教わったものだ。

ナンはインドではあまり日常的なものではなく、特別な時に食べるご馳走である。インド旅行の初日に泊まったホテルでしきりにナンを勧められたのは、もちろん我々が旅行客だったからで、友人宅ではいつも通りのロティを頂いた。

またカロリー制限は、出先でイレギュラーに間食した場合には全て記録をつけなければならない。遅まきながらカロリー数を明示した飲食店そのものが非常に限られていることにも気づくが、それ以前に昼食が高カロリー過ぎて朝夕に皺寄せが来る。益々気分は荒む。

食品交換表はブックレットではなく、アプリがあれば良いのに、というレビューも見かけたが、至極もっともである。現にそのようなアプリもいくつか存在するが、品目に偏りがあるなど、概して使い物にならず、早々にスマホから追い出してしまった。

栄養指導を受けたのが12月だったことにもインパクトがあった。年末年始の食事はいずれも高カロリー、高糖質であるから覚悟しろということなのだが、そもそも伝統的和食なるものが健康的とは到底思えない。もとより日本食の塩中毒具合には辟易しているのだ(妻と大いに対立するところでもある)。

南仏を訪れた際、知人と行ったレストランで知人に「塩は自分でして下さい」と言われた時には感心した。行きの機内では、何を思ったか魯山人がフランス料理をボロカスにdisっている文章を読んだが、塩分は自分で調節しろなどというのは彼が見たら職務放棄と見なすに相違ない。

要するに、善きにつけ悪しきにつけ塩分糖分ありきで成立している日本食から無理やり塩分糖分を取り除くと、あのいかにも食欲をそそらない病院食になるのだ(過日、無塩料理なるものも見かけたが、顆粒だしを使っていたりするのはありなのかと思う)。

今後一生こんな気の抜けた食事を続ける覚悟は持っていない。いずれにせよ、昨年末の時点で一旦「世界が終わった」と私は考えた。多くの人がこの段階で挫折して薬物療法に「転ぶ」のであろう。

だが余りに理不尽な状況に、むしろ私はブチ切れていた。そして怒りの矛先を食事療法の粗探しに求めたのである。こんなものは1日3食誰かに作ってもらうのでもなければ到底不可能だ。そもそもカロリー制限とは何なのか。間違っているのは社会の方だ俺じゃない。その他いろいろ。

さて外食は最終的にシズラーのサラダバー頼みということになったが、店舗数が少ないのが苦しい。一枚の皿にどれだけ積めるかで遊んでいたが、平日昼間は子連れの母親たちの視線が刺さりまくる。

ともあれこの時点での私の反社会性は最大出力であり、トーストやデザートには目もくれず、嫌がらせのようにひたすら草を食み、飲み物は敢えて水だけであった。既定の2周で十分満足でき、ドレッシングの代わりにビネガーが有効であり、生野菜に絹豆腐を叩き込むなど何をどう組み合わせてもOKであるなどの学びがあった。

お気づきのように、このあたりでカロリー計算はどこかにすっ飛んでしまった。アプリ片手にサラダバー積み放題などやってられるかという話である。またこの頃にはようやく1600kcalという値が基礎代謝量に等しいことを知る。終日寝て暮らしている場合の消費カロリーである。

運動をしろと言うから時折プールに行ったのだが、90分泳ぎ切ると1600kcalではとても帰宅まで持たない。じゃあ泳いだ日にはもっと食べてもよかろうと勝手に決めて、それでも糞真面目に水泳の消費カロリーから食事量を逆算していた。年末からは妻の勧めで自転車通勤を始めたが、この頃には恐らく運動消費量も気にかけていない。疲れ具合もルートによりけりだからだ。