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【保育士の心構え】
保育施設は保育に欠ける子どもを預かり、心身の発達を促す場です。しかしながら、この文言をきちんと解釈し、保育の環境に反映させている施設は一体どれだけあるでしょうか。また、プロ意識を持って学習に励み、常にその技術の向上を目指している保育士はどれだけいるのでしょうか。
近年稀に見る保育士不足と待機児童問題。この原因を全て「国のせい」と言ってしまえば確かにそうなのですが、私はそれだけではないような気がするのです。
「保育士のプロ意識の低下」こそが、子育てしづらい環境を生み出し、発達を保障してもらえない不幸な子どもを育てているのではないでしょうか。(子どもに最善の利益を保障する、と児童福祉法に書かれているにも関わらず、です)
ここでもう一度、保育に関わるみなさんにはプロ意識を持っていただき、自信と誇りを持って職務を全うしてもらえるよう、鼓舞する意味も込めて文章を記させて頂きます。
ないがしろにされ続ける幼児教育
ビルの一室に建てられた保育施設。園庭はほんのわずか。無くても近くにお散歩ができる公園があればよし。(都会の保育園は散歩に出かけるだけでも文字通り『命がけ』だというのに!) 食べ物に平気で化学調味料や食品添加物の含まれたものが提供され、挙げ句の果てには虫歯の原因となる白砂糖の多量に含まれたお菓子なども与えられているという現状です。
これのどこに一体、プロ意識を感じろというのでしょうか。保育園へ子どもを預けたいと願っている親御さんは、当たり前ですが保育園で提供されている食べ物を参考にしています。それなのに、子どもの発達を一番に考えているはずの保育園が無分別に食べ物を与えていたらどうでしょうか。親御さんは疑問を持つことなく、我が子に害のあるものを食べさせてしまいます。
また一斉にトイレに行かせたり、何かしらの活動を同じようにさせすぎる保育の方法にも疑問を抱きます。私たちは、人間を育てているのであって、動物を飼育しているのではありません。一斉に子どもを動かし続けなければ成り立たない保育があるとすれば、根本的に見直す必要があるでしょう。
皆さんはなぜ、保育施設はビルの一室でも良いのに、小学校以降の教育機関はあれだけ広い土地が確保されているのか疑問に思ったことはないでしょうか?それは、日本という国が0歳からの乳幼児教育の大切さに全く気づいていないからに他なりません。
小学校からの教育機関はその昔、国にとって役に立つ人材の育成のために立派な土地を確保して作られました。(その頃の日本はまだ子どもについての思想が弱く、話題に出ることも少なかったのです)その名残が今でも残っているわけですが、今は2021年。これだけの時間が経過したというのに、未だに子どもは狭い空間の中で保育されることが当たり前になっているのです。
皆さんは、この現状に怒るべきです。少なくとも、保育士であるならば、一人残らずこの問題に対して意を唱え、国に要求していくべきなのです。
一体どんな理由なら、大人のためのショッピングモールはどんどん建設されていくのに、子どものための自然豊かな広くて安全な土地が奪われ続けていくことが認められるのでしょうか。全くおかしな話だと思いませんか。おかしいと思わない保育士があるとするならば、今すぐ役所に資格をお返ししてもらいたい気持ちです。
子どもは国の宝である
私たち保育士は、子どもを育てることによって国の宝を育てているという意識を高く持たねばなりません。あなたが親御さんに伝えた一言、子どもに見せた一つの行動が日本の宝を作っていくのです。
保育士が無分別に親や子どもに対して何かを与え続けた結果の未来を想像できますか。勘の良い方なら気づくかも知れませんが、日本は滅びます。正しいこだわりを持てなくなったら、人類は自滅の道に向かうでしょう。
したがって保育士には、子どもに対する正しい知識と、それを伝えることのできる勇気を持ってもらいたいと思います。世の中には対応が難しい保護者の方もいらっしゃるかも知れません。でもその保護者の方は自分なりに我が子のことを思って発言している場合がほとんどです。その保護者の心情を理解せずにただ「困った親だ」とレッテル貼りをしてしまうのはプロとして如何なものかと思います。
時には情熱を持って保護者に伝えることも必要です。もちろん、情熱を伝えるには信頼関係を築くことが必要不可欠ですが、人間「情に訴えられたら動く」部分があるということは知っていて損はないでしょう。
誠実であり続けるということも非常に大切です。何かを誤魔化そうとする時、人間は必ず違和感を感じます。保護者に何かを伝える時は誤魔化そうとせずに、自分の誠実さでもってしっかりと向き合いましょう。
(保育士1年目の時、20年以上経験されてきたベテランの先生がいつも言ってくださっていたのが『誠実であり続けなさい』ということでした。)
保育に愛と科学と哲学を
子どもの育ちを考える時に、愛と化学と哲学を抜きにすることはできません。
愛は目に見えるものではありませんが、必ず存在します。愛を受けて育って来られなかった子どもが、大人になってどれほどの不幸の被っているか、保育士ならば、痛いほどわかっていると思います。愛を理解するためにはスピリチュアルの本を読むことをお勧めします。
スピリチュアルは、宗教的だとか、カルト的だとか言われがちですが、簡単にいうと「考え方の科学」のようなものです。人間が愛することを学ぶ上で考え方を変えることは、人生を変えることと同じです。目の前に起きた現象を不幸と感じるか、幸と感じるかは自分が決められるのです。物事をポジティブに捉えるための練習だと思えば、受け入れやすいのではないでしょうか。
科学を保育に取り入れるということは、難しいことのように思えますが、この視点がなければ子どもは育ちません。むしろ保育に科学を積極的に取り入れていない日本の幼児教育は遅れています。
子どもが誕生して首すわり、寝返り、ハイハイ、歩行という順序を経て発達していくことは紛れもない科学です。この順序が逆転したり、動きの獲得が早すぎたり、遅すぎたりする場合は、何かしらの大変さを持っている可能性が高いということも科学が明らかにしたことです。(これを日本で最初に発見し、保育の中に落とし込むことによって、どんな大変さを抱えた子どもであっても育つことを証明したのが、斎藤公子先生なのです)
全ての保育者に斎藤先生の保育を学んでもらえれば、この世に大変さを持って生まれてきた子どもたちをさらに救えることは言うまでもないでしょう。それほど保育に科学を取り入れると言うことは大変に有意義なことですし、保育士がプロであるということの証明にもなるのです。
保育に哲学を持つ、ということは簡単に言うと「こだわりを持つ」と言うことなります。例えば職員会議で「子どもが高いところで遊んでるからやめさせたい」という話題になった時、すぐに「わかりました、そうしましょう」とするのではなく「なぜ高いところに登ってはいけないか」「なぜ子どもは高いところに行きたがるのか」「高いところ、とはどんなところか」などを、子どもの発達に即してつき詰めて考えるようなイメージです。
「そんなことをして一体何になるのか」という声が上がってきそうですが、物事を哲学的に考えるというのは物事に深みを持たせ、説得力を高めます。歴史上の偉大な哲学者が言葉によって周りの人間に強い影響を与え続けてきたのは、物事を途方も無い時間をかけて深く考えてきたからに他なりません。もちろん、保育を哲学的に考える際は、子どもを第一に考える必要があります。
「子ども」という概念が生まれてから、実はまだ歴史は浅いのです。そのような中で、保育士が子どもについて時間をかけて深く考察し続けることは非常に意義のあることです。
ジャン・ジャック・ルソー
「子どもを不幸にする一番確実な方法はなにか。それをあなた方は知っているだろか。それは、いつでも何でも手に入れられるようにしてやることだ。」
おわりに
保育士は本当に素晴らしい仕事です。こんなにも感動的で、感情的で、躍動的な仕事はない、と思うほどです。だからこそ一人一人の保育士には学習を忘れることなく精進し続け、プロとしての姿を世の中に見せつけて欲しいなと心から願っています。
「保育の神様」と言われる斎藤公子先生は保育の仕事を「職人技」と表現しています。長い年月をかけ、研究と実践を繰り返していくことで、どんなに生まれの大変だった子どもも育つようになっていったのです。
保育の仕事は「よき師について30年」と言われます。
私もまだまだ勉強中ではありますが、皆さんとともに子どもを育てたい、子どもを守りたいという気持ちは同じです。どうか保育に希望を持ち続けて、一緒に進んでいきましょう!
ライター:斎藤保育を愛している保育士
斎藤公子氏の「さくらさくらんぼ保育」実践園に勤めている保育士。
決して時代に流されない「子どものための保育」に感銘を受け、様々なツールを用いて情報を発信している。
Instagram:sakura.sakuranbo1920
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