「意味の世界」を豊かに育む──汐見稔幸 #保育アカデミー
保育者の「学びの機会」が大きく制限されようとしていた、2020年の夏。先の見えないコロナ禍のなかで、「まずは大人が学びを止めてはいけない」と保育者や研究者が集まり、8月の後半に4日間かけて、『夏の保育アカデミー』が開かれました。
4人の講師によるオンラインセミナーの模様を、順に取材したのが本連載です。前回の記事では初日、大豆生田先生の講演をダイジェストでお届けしました。
2日目は、東京大学名誉教授、日本保育学会会長の汐見稔幸先生が登壇。『新しい保育の扉を開ける』をテーマに1時間に及ぶ講演が行われ、参加者からも多くのコメントや質問が寄せられました。
保育から「教育」を考えたい
数百人の視聴者を前にした講演は、冒頭、汐見先生自身の保育への思いや、研究者としての原点を語るところから始まりました。
もともとは「理科教育」への関心から、学力問題を研究していたという汐見先生。自らの子育てを通じた保育園への恩返しの気持ち、学校教育以上にチャレンジできる可能性などに加えて、あることを理由に「保育の世界へと入ってきた」と言います。
汐見「教育を深く考えるためのきっかけが、保育の方に豊かにあると気づいたんですね。
私はずっと『本当の教育って何だろう?』という疑問を持っていました。保育という営みを知っていくと、実はその意味がよくわかってくる。学校教育のあり方なども、むしろそこから見えてくるのではないか……と思ったんです」
そんな先生が「こうあったらいいな」と保育を考えるとき、背景に必ずあるのが「自分の幼児期の実体験」です。
何でも自身の手でつくる父親の姿を見て育ち、さらに近所の職人さんたちの姿に感動したことをきっかけに、小学校に入る頃には自らの工作道具・大工道具を一式持つようになりました。また、家の前にあった畑で自由に色んなものを育てた経験が、「今でも土いじりが大好き」な自分につながっているのだそうです。
汐見「身の回りにそういう気持ちを育ててくれた環境があったのは、とてもありがたかったなと思っています。
一方で、そうした私の行動を応援してくれる人は、実は誰もいませんでした。もし傍に大人がいて、例えばおいしい作物の育て方のヒントをくれていたら、もっと色々調べて畑で育てたかもしれないのに、とも思うんですよね。
つまり、子どもに全部を任せておくだけでは、たくさん学べるはずのものをちょっとしか学べない。その子に合った環境をつくり、関心を上手く引き出して応援してくれる人がいることが、ものすごく大事なんですね。
そういった大人の存在を含めて環境をつくること、おせっかいではない形で子どもたちに援助をしていくことが教育ではないか。こんな思いを、私は非常に強く持っているんです」
子どもの『いのち』が喜ぶ保育を
さらに、汐見先生が保育の中で重視するキーワードの一つに、『いのち』があります。この問題を参加者と考える上で、先生はまず、以前『ねむの木学園』(静岡県掛川市にある障害児入所施設)を訪れ、そこの展示作品に圧倒されたある教員の方の体験談を引用しました。
汐見「大事なのは技術ではなく、子どもたちの心を豊かにするために『生活を創る』ことだと、学園の先生はおっしゃっていますね。では、『生活を創る』とはどういうことでしょうか。
英語で言うと“create the life”となりますが、そもそも“life”には『いのち』『生活(=いのちを活性化させる日々の活動)』『人生(=いのちの物語)』の3つの意味があります。そして、実はこの3つすべてをつくっていく行為が『生活を創る』ってことなんですね。
なので、子どものいのちが喜ぶことを目指して、そのいのちがもっと元気になっていくよう色々なことをして、その子のいのちだけの物語を応援していく。それが、私たちが保育を考えるときにとても大切だと思うんです」
いのちが喜ぶような保育を考える上では、具体的に2つの指摘がなされます。
1つは、子どものいいところを伸ばそうとしないこと。「あなたのいいところはここだ」と保育者が決めることなどできないし、それをしても「決していのちは喜ばない」と汐見先生は話します。
汐見「もう1つは、私たちから見てエッと思うようなことを子どもがしているときに、それを『おもしろいことしてるね』と大人が喜ぶことです。
これは私自身の幼稚園での体験ですが、画用紙で絵を描いていたとき、とにかく長い電車が描きたくて、画用紙をつなぎ合わせてずっと遊んでたんです。教室の真ん中で、5枚描いてつなげても足らなくて、裏にまで描いて。そんな行動を、園の先生が温かく見守ってくれたなってことは、50年以上経っても本当によく覚えてるんですね。
まずはその子の気持ちを想像して、『こうなんだろうな』と思って一緒に嬉しくなる。大人が一緒に喜ぶと、子どものいのちも喜んでくれるんです」
「語義の世界」より「意味の世界」
また逆に、汐見先生は子どもの「いのちがしょげてしまう」事例として、ある支援学校で見た光景を挙げました。
1人の子どもが、靴箱のところで熱心に靴を入れ替えて遊んでいる。ところが、始業時間になると先生がやってきて「何やってるの?」と言って靴を全部戻し、教室に連れて行ったのだそうです。
保育者として、他に寄り添い方はないだろうか……。考える手助けとして、汐見先生は世界の見え方を「語義」と「意味」の違いで説明します。
汐見「『語義』とは、社会が与える一般的な言葉の定義です。『靴箱は靴を入れるところ』であって、他人の靴を勝手に入れ替えてはいけないなどの規範が伴います。英語で言えば“meaning”ですね。
教育では一般的に、社会で決められているこの『語義』を早く覚えることが目的とされます。それを要領よく覚え、正しく使える子どもがよくできる子だと言われるわけです。
これに対して、人が独自に価値を与えるのが『意味』、英語で言う“sence”ですね。先ほどの例では、その子は靴箱に『自分だけがおもしろいと感じる』価値を見出したわけです」
ここで汐見先生が指摘するのは、社会的な「語義」よりも、個人的な「意味」を豊かに育むことが重要だという点です。「語義」は後々でも教えられますが、「意味」は本人が作り出すしかないため、後から大人が教え直すことはできません。
汐見「学びの前提にも、『語義』の前に『意味』があります。まずは子どもがそれぞれに価値を見出し、おもしろいと思うことをやっていく中で、『意味』の世界がどんどん発展していく。
すると、やがて子どもは客観的な『語義』の必要性を自覚するんですね。つくったものを『もっときれいな色にしたい』と子どもが言ったとき、『何色と何色を混ぜたらこんな色になる』と教えられるのは『語義』の世界。それを学びとろうと意欲が生まれていくことで、さらに色んな学びが始まるんです」
こうした感性を育むには、「自分の感じた意味をそのまま表現していいんだ」という気持ちを育てることが大切だと話す汐見先生。そして、見つけた「意味」を少しずつ変えていき、その子らしい物語を作っていくのが「遊び」なのだと説明します。
また、子どもの「意味」の世界を育てるには、それを保育現場だけでなく、大人が生きる環境そのもので大事にする必要がある、とも指摘しました。
汐見「例えば今、レッジョ・エミリア市の保育がよく話題になりますが、ここはイタリアの職人文化の町なんですね。公園に置いてるゴミ箱ひとつでも全部アートにしていく文化の中で、『もっとこうした方が素敵よ』と子どもを育てている。
そうした背景を受けて保育も成り立っていることを考えると、普段の生活で『語義』を大事にしている社会で、保育だけが『意味』を育てようとしてもやっぱり無理ですよね。なので、実はこの2つの関係はもっと深いところから、みんなでしっかり考えなきゃいけない問題でもあるんです」
『本物』を目指す姿を、保育者が見せる
子どもの世界における「語義」と「意味」の区別が、これまで十分されなかった日本の教育。いわゆる早期教育などで前者を重視し、「社会で決められている行動」を求め過ぎると、自分の世界を豊かにしていく生き方が、子どもの中から消えていってしまうことになります。
何より、自ら経験したことがないものは、物事を本当の意味で理解する(=『意味がわかる』)ことにはならない、と汐見先生は述べます。仮に「恋愛とはどういう意味ですか?」と聞かれて「他人を好きになること」と覚えたり、5歳の子どもが文字や恋愛小説を読めたりしても、恋愛そのものを知らなければ深くは理解できません。
汐見「もちろん、経験があるだけでも『意味』の世界は育たない。子どもと一緒におもしろがって、共有していく大人がいることが重要ですね。
そこで注意したいのは、最近よく言われる『見守る』という言葉です。『見守る』ことは、援助を考えるときの方法のひとつに過ぎません。それを原理のようにしてしまうと、結果ただの放任になってしまいます。
10人いれば、いのちの喜び方は10人とも違いますよね。『その子のいのちの“ほとばしり”みたいなものを、どうしたら形にできるか』と考えて、保育者は多様な関わりをしなければいけないんです」
汐見先生は参加者に、保育者は子どもに『本物』を示したり、紹介できたりする人であることを提案します。ここでの『本物』とは「子どもの意味創造の気持ちをかき立ててくれるもの」で、英語で言えば“genuine”(偽りのない)ではなく、authentic”(真正の)に近い意味です。
先生が子どもの頃に出会った大工さんなどは、まさに『本物』。保育者も、自らそこまでの職人になれなくても、絵を学んだり自然を体験したり、それぞれが文化、社会、自然に興味を持つことが大切だと言います。
汐見「まずは自分の生活を豊かにしようとする指向性があることが、実は保育者の大事な条件じゃないかなと思うんですね。
昨日も大豆生田先生が話されていましたが、保育には『振り返り』が非常に重要。で、『子どもの何がおもしろかったか』を語り合うときに、それぞれの先生がこの指向性を持っていると発想が変わってきます。これがいい保育者の集団をつくっていくわけです。
私は『保育の質とは?』を考える仕事もしていますが、先生方には『質、質と言われて息苦しいな』とならないようにしていただきたい、とも思ってるんですね。そうではなく、深い意味で『保育って楽しいな』と感じながら保育する姿を見せることで、子どもたちは『生きるっていいことだ』と思うようになる。
やっぱり先生の目がキラキラ輝いてるときの言葉って、子どものいのちの世界に響いていきます。その意味では、保育の楽しさをどう自分でつくり出すのかが、最もわかりやすい『質』の中身なのかなと思っているんですよね」
【質疑応答】
前日に続きこの日の講演中も、Zoomのチャット欄にはたくさんのコメントが参加者から寄せられました。以下に少しだけ、汐見先生に回答いただいた質問を紹介します。
——「意味」が子どもの豊かさを育てることには共感できるのですが、一方で「語義」の大切さも伝えていかなければと思ってしまいます。どちらも伝えていくとしたら、どのようなところを気をつけたらいいのかでしょうか?
汐見「生きてる限りは、社会的な『語義』にある程度従わなければいけない部分ってありますよね。ただ、慌ててそれを身に付けさせようとしなくてもいい、と私は思っています。
ある園での話を紹介しますね。2歳児がブランコに乗るときに、『1、2…』と数えて10が来たら交代していたんですが、1人の子がどうしてももっと乗っていたいと。最初は強制的に降ろしたんだけど、ある時から『じゃあどうぞ、でもけいこちゃんもかんたくんも待ってるからね』と言って、気が済むまで乗せたんです。
で、今度はその子が3歳になったら、同じような場面を見た時に『もっと乗ってたいんだよね、だけどみんな待ってるからね』って言ってるわけですよ。自分だけの『意味』の世界、その子が本当にやりたいと思っている世界を満たしてあげる一方で、他の子に迷惑かけるかもしれないとちょっと伝えておくことによって、自分で葛藤してそれを乗り越えていくんですよね。
なので、まずは子どもたち自身の『意味』が豊かになるようにしながら、保育者が少しずつ『こういうルールって必要?』と子どもに投げかけたり、自分たちで考えさせたりしていく。そうやっていけば、早めに早めにやらなくても、子どもたちはある段階で必ず自ら納得して『語義』を学んでいくと私は思います」
——保育の現場だけではなく、親の育ち方にも課題があるように思います。いのちが輝くように、と育てられていない大人自身が、どうやって生き直すことができるか。鍵は何でしょうか?
汐見「本当にその通りだと思うんですが、だからこそ私は保育園や幼稚園が、変化を生むきっかけをつくることが大事だと考えているんですね。
例えば、ある園では月に1回か2回、迎えに来たらそのまま帰らないで、昼間子どもたちに出したような食事を保護者が一緒に食べ、みんなでワイワイする場をつくっています。今はコロナでちょっと距離を取ってやらざるをえないんだけれど、お父さんお母さんたちの、いい意味での交流の場になるようにしてるんです。
親同士が園の中で語り合い、時には先生も参加する。そこで、『やっぱり同じような人いるんだな』とか『私もちょっとそういうことやってみようかな』と上手に刺激をもらったり共有し合ったりするようになるんですね。
色んな人と交流する場があると、大人もちょっとずつ変わっていく。こういうことも今後ぜひ、各園で考えていただきたいと思います」
<2日目のセミナーはここまで。次回は3日目、井桁容子先生の講義に続きます>
(取材・執筆/佐々木将史)
【転載元】BABY JOB株式会社
「意味の世界」を豊かに育む——『夏の保育アカデミー2020』②汐見稔幸|手ぶら登園保育コラム|ベビージョブ株式会社