#52 子ども主体の保育の誤謬 〈前編〉
子どもに全て任せる。
子どもの好きにさせる。
子どもがやりたい放題する。
その子がやりたくないと言えばやらなくていい。
やりたくないことはやらなくていい。
一斉保育は子ども主体の保育ではない。
集団で行動しなくていい。
ただ子どもの言うことを聞く。
好き勝手に行動するようになる。わがままになる。
「子ども主体の保育」について、こういったイメージを持っている方もいるのではないでしょうか。
これらはむしろ主体がないがしろにされている状態をさす内容です。
子どもの発達が無視された内容でもあります。
「私」の主体が尊重されるということは、「あなた」の主体も尊重されるということです。
子どもの発達には信頼関係と安心が基盤にある「他者の存在」が欠かせません。
最初に記したような放任・放縦の保育実践も、子どもが他者を無視して自分の考えのみで決定をすることも「子ども主体の保育」には含まれません。
保育所保育指針解説で「主体」という語でみていくと、
1人1人が独立した人格をもつ主体として尊重する
主体性を尊重する
主体的な遊び・生活・活動
主体的に環境に関わる
といった表現が出てきます。
【主体・主体性・主体的】に共通するのは、「自分の意志や判断に基づく」という要素が入っているということです。
では、子どもにとって「意志や判断」はどこからくるのでしょうか?
結論から言うと、それは「関係性」からくるものなのです。
子どもたちと生活をしていると、一人一人が周囲のモノや人に影響を受けながら、互いに影響し合いながら、響き合いながら、時には過去の経験から、未来(未知)へのわくわくなどから、判断や決定をしていることを実感します。
つまり、子ども主体の保育とは、子どもが環境(モノ、人、空間、時間など)とどのような関係を築いているかを大切にする営みだとも言えます。
子ども主体の保育で避けなければならないこと
子どもが、主体として尊重され、主体性を発揮し、主体的に生きるには、身近な大人のあり方が鍵を握っています。
どのように子どもの【主体・主体性・主体的な生活】を尊重するのかが計画に現れ、実践を経て、機能する振り返りが明日につながっていく。
そのプロセスを保育者同士の対話を通して繰り返し続ける。
子どもがゆたかな関係性のなかで主体性を育んでいくために、保育の営みで避けなければならないこともあります。
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保育は人生そのものだ!
私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…
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