#27 いろんな《出会い》を生きる子どもたち
聴き入る。聴き切る。聴き続ける。
子どもとの関わりで大切にしていること。
この「聴く」を私なりにもう少し詳しく表現すると、
となります。
この瞬間を、日常でいかに重ねていくかを意識しています。
今回は【出会い】についての話。
何度も【出会う】子どもたち
大人には経験があるからこその強力な「自動操縦モード」が備わっています。
本当は昨日と全く同じ今日はありえないのに、変わらないように感じたり新鮮味がなかったり都合の良いように解釈したりする自分なりの「意味の世界」を僕らは生きている。
違いはあるけど、同じにしてしまっているだけなんですよね。
それ自体はすごく便利だし、そうじゃないと生きづらさもあると思います。
自分なりの「意味の世界」はなくせないし、自分らしい人生を歩む軸にもなる大切なものです。
だからこそ保育者として常に持っていたいのは、子どもの生きる世界は違うという意識。
大人から見たら同じに見えても、子どもたちは”何度”も出会う。
昨日と同じような今日を、新鮮な気持ち、新鮮なまなざしで生きる。
初めての出会いは目を向けられやすいけど、周囲から見ると変わり映えのしないようないまここにしかないその子だけの《 出会い 》は見過ごされがち。
僕ら大人の感性では想像しきれない、その子だけの多様な《 出会い 》を、そのままのカタチで大切にするには『聴く』『聴こうとする』『聴き入る』『聴き切る』『聴き続ける』ことしかできないのかもしれない。そして、これがとんでもなく難しい。
一朝一夕ではいかないし、どのくらい聴けるかはその時の自分の状態にも左右されますしね。
聴いているようで、すぐに解釈や意味付けが頭に浮かんでくる。ふと口から出た言葉や問いかけが、その子だけの出会いを奪っているかもしれません。
そんな葛藤を抱えながらも、子どもと共に生きていく。それも保育者なんだと思います。
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保育は人生そのものだ!
私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…
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