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#66 自分が大切にしたい価値観が言葉になった2024年

今年もゆっくりとしたペースではありましたが、なんとか毎月マガジンを更新してきました。

この1年で書いたマガジンのnoteは、12本ありました。

#55 「安心」と「信頼」と保育
#56 イヤイヤするっていうことは…
#57 7年越しの卒園式
#58 保育における「自由」
#59 「観察」で変わる保育の実践
保育日記|007 「そのままがいいんだね」
#60 「適当」〜いい加減と、ふさわしい加減〜
#61 ひとことの厚みで保育に違いが生まれる
#62 気づいたら夢が叶ってた夏
#63 「わからなさに」とどまれるゆたかさ
#64 子どもの主体を尊重する実践が小学校との接続に大切だということ
#65 保育を一言であらわすと?の問いかけからはじまった探究

「保育は人生そのものだ」2024年投稿分

今回は、この中から4本を取り上げて、最後に2024年言葉になってきた自分の大切にしたい価値観を紹介していきます。



#55 「安心」と「信頼」と保育

子どもは今目の前の姿で確定していなく、育ちゆく存在。

子どもと毎日一緒にいると、良くも悪くも「慣れ」が生じてきて、悪い方に作用しているときは、この当たり前のことがしばしば見えなくなってしまうものです。

子供にとっての「安心」維持することは、保育の基礎の基礎。

私の保育観としても、とにかく安心を保障が土台にあることが軸となっています。

それは、興味・関心、意欲や挑戦、深い学びが生まれるときの根っこには、たしかな安心があるからです。

私にとって、このnoteを読み返すと、自分が大切にしたいことの確認をすることができます。


#56 イヤイヤするっていうことは…

「いや!」という姿は目立つから俗称として「イヤイヤ期」と言われていますが、自園の保育士とはこの言葉を使わない方が、その時期の子どもたちを適切にとらえることができるのでは?という話をよくしています。

モンテッソーリ教育では、同時期にあたる「敏感期」という概念があったり、「ブラブラ期」や「自立促進期」と呼ぶ方たちもいて、そちらの方が子どもの本来の姿に合っているように感じています。

とにかく大事なのは、イヤイヤしたい時期なのではなく、ブラブラすることが成長に必要な期間にブラブラできない生活環境が「イヤ!」を引き出しているということです。

ただし、生活環境をガラッと変えてイヤイヤを解消させる方向にいくと大人が苦しくなって、大人が苦しいと子どもにとっても望ましくない状況がつくられやすくなります。

なので、ブラブラできる環境をほんの少し増やせないかを考える方が軽やかになるかと思います。

例えば、いつも通る道を歩くときに、いつもより3〜5分余裕を持たせて、立ち止まったりしゃがんだりするときの子どもの発見や興味を優先しやすいようにする。

時間の限りがある生活環境で、少し余裕を持たせたところで結果は同じ「イヤイヤ」だったとしても、少しも尊重してもらえなかったプロセスと、興味を少しでも大事にしてもらえた経験、「それがしたかったんだね」と気持ちを受け取ってもらえた経験のあるプロセスを重ねていくのとでは、他者の話を聞く感性に違いが出てきやすくなります。

自分のことを聞いてもらえた子どもは、相手のことを聞こうとする態度が育まれていくことを保育実践を通して実感しています。


#60 「適当」〜いい加減と、ふさわしい加減〜

「分かったつもり」の暴力性を回避する。

2024年に聴いたトークセッションの中で一番衝撃を受けた日のことを書いたnoteになりました。

「適当」という概念に関する対話は、保育者にとって大切な専門性の深淵に重なるものばかりでした。

与えたのだから受け取るべきだという規範で利他を考える人(=適当さがない)は、「電車で席を譲ったのに断られた」と言う人。相手にも自由があることが抜け落ちてしまうと、善意や規範の押し付けが起こりやすいのだと思います。

相手のためにしたことを、受け取る自由と受け取らない自由が相手にあることを前提にした利他の大切さは、保育でも同じことが言えます。

受け取る自由と受け取らない自由。子どもが主体的に環境(この場合は保育者の言動)に関わる保育になりますね。

子どものした選択に対して、保育者が考えることがあれば、自由な選択の先に、対話的な関わりを重ねていく。

相手のことを「分かった」と思ってしまう「怖さ」にも健全に向き合いながら。


#61 ひとことの厚みで保育に違いが生まれる

「ひとつの言葉」に、こんなにも幅や厚みがあるんだと実感できた体験は、他者の言葉の聴き方に違いをつくります。 

保育学生の1年生と1ヶ月かけて向き合ったひとことは「ゆたかさ」

私にとってもこの1年のハイライトとなる印象深い時間となりました。

以下、記事より引用します。

ある学生は、
「違いがあることのゆたかさを感じた。」
と話していました。

この言葉を聞いた時に、対人関係専門職として保育を営む私たちにとって、とても大切な感想が出てきたなと思いました。

同質性を求められることの多い文化が日本にはあります。それは良い面ももちろんあることにはあるんだけど、他者や自分を尊重しようとするときに足を引っ張るものでもあります。

対話の基本である【異質性を基盤にしたコミュニケーション】

これを自分の体験から掴んだことは前進そのものです。
同質性、均一性で安心を担保するよりも、違いは違うままで互いを大切にしたり、未来を創造したりする。

そういった子どもの育ちを支えるのに、その感覚を自分が掴んでいる、違いにゆたかさを感じた経験がある、それらが実際の関わりにおいて滲み出てくるものです。

こんなことを考えてる時間が私にとってはゆたかな時間でもあります。

あなたにとって「ゆたかさ」とは何ですか?


【おわりに】私が大切にしたい価値観とは?

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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