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#15 子ども観と子ども理解の違いから保育を考える

子どもの成長や変化は素直にうれしいですよね。

しかし、手応えを感じた気持ちよさから、手応えを求めるようになっていないかは、頻繁にチェックが必要です。

子どもから出発していたはずの視点が、「子どものために」で包まれた保育者の満足感のための手法にすりかわっていたら悲しいですよね。

  -保育者の満足のために子どもを存在させていないか?

無意識のうちに揺らぐのは自然なこと。

もし、その状態になっている自分に気づくとしんどいですし、見つめ直すのは簡単なことではありません。

しかし、何のために人の人生に関わる仕事をしているのか。

自身の衝動(源泉)や動機(モチベーション)を思い出す機会をつくることが大切です。

うまくいっていると感じているときにも、現実を観察して、背景や前提を確認をする。

子どもの今と未来に良くも悪くも影響を与える保育者にとって、欠かせないあり方になります。

今回は確認する視点の一つとして、子ども観と子ども理解の違いについて書いていきます。

ー 子ども観 ー
保育者が子どもをどのような存在としてとらえているか。どう見ている(観ている)か。保育者側から見る視点。多様であり、曖昧性がある。

ー 子ども理解 ー
子どもの興味や関心、発想などから子どもを見るのが子ども理解。子ども側に立った視点。現象面から子どもを見る。

相互に関連して、保育は実践されます。

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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