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心のありか。人生論
こんにちは。
今回は、少し重いお話ですが『心』について書きたいと思います。最近では、若い人のそれこそ中学生や高校生などのいじめや自殺などのニュースなどを見る度に胸が痛くなります。私は、自殺はある意味他殺でもあると考えており、一番辛く本来起きてはならない死だと思います。私も幼い頃に色々といじめを受けており、家にも学校にも自分の居場所がなくそれこそ死を考えた事もありました。ですが、そんな時にふと思ったのが"ここで死んだら全て思う壺だ! それなら逆に生き抜いてやる!"と……(苦笑)ちょっと変わった子ですよね。それに、友達というのも無理に作るものではなく本当に好きな事や何かをしていて自然と出来るものという自分の哲学的な物があり一人でいるのも誰かといるのも好きと言う子供でした。昔、親しい友達から「どこでも生きていけそうだよね!」と言われたのを今でも覚えています。その時、確かに自分でもそうだなーっと妙に納得してしまいました。そして、高校時代はさらに哲学的な事を考えるのが好きになりある日ふと「人は死に向かって生きている」という当たり前の事に気付きそれから視野が広がっていった気がします。
その後も色々と仏教やキリスト教などの教えにも興味を持ったりして行くうちに、"一日一日を大切に生きる事"や色々な物への感謝の心や許す心を忘れずに生きる事が大切さ事を改めて感じ今に至ります。私は、世界中で崇めている神は元を辿れば同じで神なる者が居るとすれば、皆の心の中に存在するものだと思っておりますが聖書や色々な本を読んでいて「神は乗り越えられない試練を与えない」というフレーズは好きでした。その為、何か辛い事や困難な事があった時には「ほほう、これは試練か!」と思う様にしております。
そして、負の言葉はなるべく使わず避ける。これは大事な事だと思います。
他人への悪口や暴言を言っている人にはあまり近付かず自分も気を付ける。負エネルギーを受けると不思議と物事が上手く回らなくなり、イライラして顔も暗く人相まで変わってしまいます。だから、そんな事を言っている人が近くにいたら伝染しないように「あらら、負のエネルギーを受けて疲れているんだな。可哀想に」と愛情を持って接する気持ちで居たいですね。負のエネルギーは愛情には弱いですからね。愛情の欠如こそが負のエネルギーを産む最大の原因だと私は思っております。
今は、さらにネット社会でそこら中に溢れていますがそれをなるべく取り込まなければ良いのです。もし取り込んでしまっても、人は死に向かって生きているという事を思い出して下さい。そして、今日という一日は同じ様な日常でも二度と来ないものです。
今が辛くても、その試練を乗り越えられる力が必ず備わっています。そして、人も元を辿れば皆同じで家族。だから本来、いがみあったり争うものではない筈です。土や植物や動物、海や太陽は私達人間を優しく見守り又栄養源としてその身を差し出してくれる言わば母なのだと私はこの人生を通してまだまだ日々学ぶ事が多いですが思っております。