父はADHD?11 実家のごみ屋敷化
2014年夏。伯母のSOSを受け、わたしは2週間ぶりに実家に戻りました。家事をしてくれていたAさんが来なくなった実家は、ハエが発生し、ひどい生ごみ臭でした。どうすれば2週間でこんなに汚せるのか?という散らかりよう。食卓には干からびたインスタントラーメンがそのままの雪平鍋、流しは食器で溢れ、キッチンの床はびしゃびしゃで、どうしてカトラリー引き出しの中まで濡れているかわからない。
ソファには父が座った時の形でバスタオルがかかっており、その下はカビています。タオルも下着も使い尽くし、脱衣籠には何も入っておらず、周囲の床に転々と放置。寝室には2週間分の新聞が、全部バラされた状況で部屋中に積みあがり、父が人生で一度も新聞を畳んだことがないことに気づきました。いつからあるかわからない湯呑や茶わんが寝室にもあふれています。ゴミの量はそれほどではないはずなのに、ごみ屋敷感が半端ない。
この大量のティッシュは何に使ったの?
この状況は、父の認知症が引き起こしたものではなく、元来のADHDによるものでしょう。本人はこの状況がまったく気にならないらしく、
「おー、帰ってきたんかー。ゆうてくれたら迎えにいったのに」と機嫌が良いです。前回も、前々回もわたしに「オマエは二度と来るな!」的発言をしたのをすっかり忘れている(忘れたふり?)。とにかく誰か来てくれるのは嬉しいらしい。温かいご飯が食べられるからかしらね。
わたしは早速「ティッシュはごみ箱に」「新聞は畳んでここへ」「洗濯物は脱衣籠へ」「3日に1回は洗濯すること」などと書いた貼り紙をしました。後日、これは何の意味もなかったことを知りますが、薄々わかっていても、怒りに任せて貼り紙をせずにはいられませんでした。
祖母→母や姉→家政婦のAさんと、文句も言われず、切れ目なく世話をされてきた父は、当然、家のことは何もできませんでした。世間では、それまでやっていなくても、妻に先立たれてから家事をするようになったという話を聞きます。本当に困れば父も、今からでも少しでもやれるのではないかと思いたかった。無理やりさせようとしてみました。でもそれは、認知症がはじまった今、到底無理なことだと、この帰省で気がつきました。
父の場合、家事以前の問題でした。
それからは先は、「どうする?限界集落の実家」シリーズで書いたように、地域包括センターへの相談、医療機関への相談(本人は断固拒否)、介護認定面談(本人は逃走)、介護認定、ヘルパーの派遣へと進みました。ひとつひとつの手続きにそれなりに時間がかかります。
この際に役に立ったのがA4 2枚のペーパーでした。父の性格や、今までの生活歴、家族環境などを綴ったものです。ペーパーの内容は下記より。