父はADHD?19 父の餅つきの思い出
12月30日。今年もあとわずかです。
父が自宅にいた頃は、年末年始は実家に帰っていました。28日ぐらいから帰省して田舎の家の掃除をし、30日は餅つきの日です。子どもが小さかった頃は、杵と臼で餅をついて大イベント。75歳を越えてからは、さすがに餅つき機を買って、それでつくようになりました。「お店で買って来れば?」と思うのに、そういうイベントは何歳になってもやりたい父。
お餅つきの何が大変か?前日からもち米を研いで漬けておくのですが、田舎って水が冷たいんです。0度に近い水で米を研いでいると、だんだん手がしびれてきます。
父はたくさんお餅をつきたがるので、抑えて3升、多い時は6升の餅米を洗いました。父は餅をつくところと鏡餅を作るところだけ張り切り、あとは急に関心がなくなります。孫たちだって同様。
父の認知症状が悪くなりはじめた2014年。11月にはもう餅つき日程の相談がありました。
父「お前ら、いつ帰ってくるんや?餅つきは30日でええなぁ」
私「28に帰って29は掃除して、お餅は30やなぁ」
私「お父さん、お餅つきだけ気になってる。何度も電話かかってくるよー」
妹「家にも電話かかってきた。3升ってどのくらいだっけ?ゲッ4.5キロだ」
結局、2014年の年末は6升のもち米が買ってあったので、(実は父がお米屋さんに2回頼んでいたと後に判明)6升つきました。
お父さん!餅つきはねぇ、「米を研ぐ」「丸める」というのもあるんだよ!と毒つきながら、合計5時間(除く米研ぎ)かかりました。祖母が和菓子屋だったので、わたしは子どものころから丸餅の丸め方に熟練。なんとかがんばれました。
問題はそのあと。姉も妹もそんなに食べないというし、父本人も「俺は喉につまらせたらアカンからなぁ」とか言うし。そこでわたしがほぼ2/3を持ち帰りました。
御雑煮3種類、しょうゆ餅、のり餅、あんこ餅、きなこ餅、イロイロやっても、まったく減る気配がなかった年明けでした。
今振り返ると、あの年末の父は、間違えたり何度も確認したりしながら、まだ自分でお米屋さんに餅米を頼むなんてことをしていたんだなぁ。餅つき機の使い方はわからなくなっていたけれど、どのタイミングで機械から引き上げるのかなど、餅奉行をやってくれていたなぁ。
母がいた頃は、多い時には10人が集った年末年始。実家の寒さに頭が痛くて眠れないし、休みなく10人分の洗濯・調理・洗い物・掃除・洗濯・調理・洗い物に追われて「もう限界!はやく家に帰りたい」と思いながら過ごし、クタクタで帰宅しました。
今は実家もないし、姉妹それぞれ遠いので静かな年末年始です。
「絶対もう嫌だ。帰りたくない」と思っていた実家の年越し。失くしてみると「コタツに入って紅白をみてトランプして、楽しかったなぁ。子どもたちも久しぶりに会えるイトコに喜んでいたなぁ」などと楽しい思い出だけが浮かんできます。
今日は父の命日。2年前のドタバタでさえ、忘れ難い思い出です。遠距離介護=遠距離葬儀はこちらより。
https://note.com/hoho1064/n/n03eb15c26272
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