父はADHD?18 もしあなたが家族を傷つけていたら?
ADHDの父の感情爆発は、わたしたち姉妹に違った形で痕跡を残しました。これまでの話は、https://note.com/hoho1064/n/n0d782736c974
姉と私はそれぞれ結婚し、伴侶を持ちましたが、姉は絶対に声を荒げない人と結婚し、わたしはまあまあ怒鳴るような人と結婚し、それに応えて言い返す日々を送っています。
2014年に父の認知症がわかってから、姉妹交代でよく実家に帰っていました。そして2016年父が脳梗塞で緊急入院し、その後の転院の過程で父が「療養病院を脱走する事件」が起きます。この時のことは下記でnoteに書きました。激高した父は仕事中の姉に電話してわめき散らしました。
振り返ると、姉が父に会いに来なくなったのは、そうだ、その頃からだったと改めて気づきます。脱走し確保されて「こんなとこにおったらオレはぼけてしまう!何とかせえよ!」と父が辺りかまわず怒鳴り散らす声に、姉は心が折れたのでしょう。「お父さんが怒鳴ってて収拾がつかない、わたしは行けない。あなたがとにかく行って」と命じられた日のことです。
仕事が忙しいこと、義母の介護があること、乗り物に乗るのが難しいという理由で、その頃から姉は父の施設をまったく訪問しなくなりました。わたしは姉の言葉をそのまま受け取って、そうなんだね、今度こそわたし頑張るよ。そんな気持ちで数年、父を看取りました。
そういえば母の17回忌の時も、父を施設から連れだそうかと言う私に「お父さんが怒りだしたら困るから、呼ばない方がいい」と頑なに言ったのも姉でした。
父から「最近、アイツはどうしとるんや?会いに来んなぁ」と言われるたびにわたしは、お姉ちゃんは介護があってね、仕事が忙しくてね、酔うから乗り物に乗れないらしいよ、コロナだしねと言いました。
これで最期という面会も「わたしはお葬式だけでいいわ」と姉は言いました。父は母に似ておとなしい姉が好きでした。一番そばにいてもらいたかったと思います。けれども亡くなるまで何年も姉に会うことはできませんでした。父が施設に残したものを引き取った時、姉から父に宛てた手紙は一通もありませんでした。手紙ぐらい送っているのでは?とのわたしの予想は外れました。
あぁそうだったのかと、妙に納得。
姉妹で同じような環境にあっても、反応の違い、受けるトラウマの大きさは違うものだということを数十年の時を経て思い知ったのです。
父の親友のおじちゃんに、父の最期を報告したとき、
「お姉ちゃんは、お母ちゃんに似て優しいんやってよう言うてたわ。二番目のあんたは、はっきりモノを言うんやってなぁ」
とポッツリ。そうです、まったくその通り!
でもそのおかげでわたしは自分の心を保ち、父と最後までつき合えましたが、姉は面会に訪れることはありませんでした。父は姉が心からおびえていたことを知らないまま亡くなりました。
もしADHDで自らの行動に困っているなら、今なら適切な治療を受けることもできるし、家族に与えたトラウマも修復が可能かもしれません。あなたはまだ間に合うのでは?そんな気持ちでこのnoteを書きました。
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