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父はADHD? 2 擬音語の嵐、どうしていつもこうなるの?

わたしの父のあるある話です。
インスタントラーメンでも作ろうものなら、まず庭の泥付きのネギを畑から家に持ち込むときに、台所を泥だらけにし、ネギを洗うのに、なぜか床を水びたしにし、ラーメンをどんぶりに注ぐときに、ばしゃーんとやって、食卓をラーメン汁でびしゃびしゃにする。
とにかく擬音語の嵐です。
どろどろ、びしゃびしゃ、ばしゃばしゃ、ばっしゃーん。

畑には、父が思いつきで植えた作物が、雑草とりや肥料やりなどの手間をかけられないまま放置され、背の高い雑草にまみれ、いつも近所の人に笑われていました。それもネタの一つとばかり、父はまったく気にしていません。近所の人がよく作物を持ってきてくれました。

父はいろいろ思いつくので「そうだ!この洗濯機の上に屋根を作ろう!」となった日には、ホームセンターで、角材、波板、釘(あらゆるサイズ)、丸のこ、ジグソーを買ってきて、設計図も作らずに作り始めます。作りだしてから設計図を作っていたこともありました。そんなふうなので、いつも材料は多すぎるぐらいたっぷり買ってきて余らせます。

作りはじめて完成させられず、近所の大工さんに残りをお願いする、というおきて破りなことも平気でした。限界集落ですから、みんな父の性格や行状を知っていて、またかえ?と呆れながら手伝ってくれます。そんな挙句完成したら、「でけたでけた!ええもんがでけたなぁ!」と父は大喜びでビールで乾杯(父は一滴も飲めません)となるのです。

牧歌的風景に見えるかもしれませんが、家族にとってはかなり辛い。屋外に放置された電動工具や釘はさび、角材は朽ち、次には使い物にならなくなっていました。そんなことも、まったく平気。気にしないのです。

わたしは子どもの頃から、それが当たり前で、あまりに見慣れていたのでしょう。結婚して、ほかの男性の日常生活を目の当たりにして初めて、父が尋常ではないと気づきました。

お葬式の日、来てくれた人の何人かが「この辺にはあんまりいないような人だった」と父を追想していたので、やっぱり、滅多にない人だったんだなぁと思います。悪い意味でも、いい意味でも。
お父さんはADHD 続きは下記より。


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