どうする?負動産の実家13 父の友達
父の人間関係の把握と継続 OR 縮小。
・父の人間関係
親がそれまでの状況と変わったとき、子は、どれだけ親の人間関係に入っていくものなのでしょう。父が田舎で一人暮らしをしていたので、結果的にかなりその人間関係に助けられましたが、線引きが難しいものだと、気疲れしたのも事実。他の姉妹は、引き気味でした。
・父の同窓会の幹事はわたし?
生まれた場所で、人生の多くを過ごしていた父。小学校・中学校・高校の同級生が近くに住んでいました。にぎやかなことが好きな父は、よく同窓会の幹事をしていました。
会場を予約し、宛名、案内文を往復はがきに印刷して出し、参加人数を確認する。(印刷できなくて、わたしに頼むこともしばしばでしたが)
父は、当日のおしゃれにも余念がなく、楽しそうな集合写真がたくさん残っています。
2015年、物忘れが進んでからも、同級生に頼まれて、いつものように小学校の同窓会の企画をしようとして、父、は壁につきあたってしまいました。
「日程はいつで、何人で、会場予約をしたのかしないのか?」繰り返し何度も、会場に電話する父をみかねて、わたしは、父の親友のKさんに電話を入れました。Kさんは、父の変化に気づいていたけれど、なるべく変わらず接しようとしていたようでした。
う~む。同窓会の幹事はわたし?
それまでの同窓会のデータはPCにあったので、宛名ラベルと案内文の印刷までをやり、返信ハガキをKさん宛にして、引継ぎました。
同窓会当日は、Kさんが迎えに来てくれて、父はいそいそと出かけていきました。これが、最後の同窓会になるだろうなぁと思いながら見送りました。
父の場合、小学校、中学校、高校時代の友人と交流があったので、それぞれのグループのキーマンになる人に連絡をして、父の変化をそれとなく伝えて、様子を見守ってくれるように頼みました。わざわざ、わたしから連絡したというよりは、何かトラブルが起きて、そのフォローの際に伝える感じです。
・年賀状の廃止
年賀状が来れば父もうれしいし、父の近況を知らせるつもりで、2016年秋の入院までは、それまでと同じように年賀状を出していました。2017年の年賀状で、父が入院し自宅にいないので、今後、年賀状は書けないことをお知らせしました。
2018年以降は、自宅にいない父に宛てて年賀状をくださる数人の方にだけ、寒中見舞いで父の近況をお知らせする方法をとるようになりました。
父宛の郵送物は、わたしの自宅に届くようになっていました。
実家じまいの続きは下記より。父のその後の買物事情。