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どうする?父親の施設入所14 老健の次?

2016年脳梗塞で倒れた父は、①中央病院→②療養型病院→③精神科病棟と転院を繰り返し、2017年春④介護老人保健施設に転院してからは、脱走するそぶりもなく、落ち着いた生活を送っていました。

結果的に、わたしたち姉妹が父の落ち着き先にと、当初望んだ②療養型病院は起き上がれない重症患者が多く、父にとっては不本意な場所だったと思います。だから父が無理やり脱走して自分の意思を伝えたことも、父らしいと受け入れざるを得ません。施設探しもトライアンドエラーの繰り返しですね。

老健、3ヶ月に一度のケアプラン見直し
④介護老人保健施設は3ヶ月に1回ケアプランの見直しがあります。わたしたちは、ケアマネさんとの面談に行くたびに「次の行き先を探してください」と言われないかドキドキしていました。すみません。ちっとも目途が立ちません(泣)。

検討してみた実家近くの有料老人ホーム
実家に近い有料老人ホームを見学に行ってみました。近いといっても実家から30分はかかります。そこは隣に病院併設の老人ホームでした。(もとい老人ホーム併設の病院)何かあればスタッフがそのまま病院に移してくれるとの話。それはわたしにとって大きな魅力でした。父の状況でも受け入れてくれそうでしたが、今は空きがないとのこと。

父が長生きするとしたらあと10年。有料老人ホームの入居費+実家の維持費+面会帰省費を賄うだけの目途は立ちませんが、とりあえず空き連絡待ちをしました。(この後、1年ぐらい連絡が来ないので、こちらからかけたら、緊急度が低いのかと思っていたとのこと。空き待ちをしているときは、なるべくマメ連絡することが案外大事ですね。スルーされてしまう)

特養は、少し前なら入れたけれど
特別養護老人ホームは、2017年時点では要介護3以上でないと入れません。父の認知機能低下がわかった2014年は、地元の特養に空きがあり、要介護2の入所することが可能でした。その頃は、父が施設入所断固拒否だったので、入所はありえませんでした。2017年春、父はかろうじて自立歩行ができ、認知機能の低下も進んでいなかったので要介護3はまだまだでした。(結局、常時車椅子介護になるまで要介護1でした)まだまだで良かったはずなのに、ちょっと複雑な気持ち。

2016年末から2017年にかけて、わたしたち姉妹は、義母の介護や自身の体調不良に悩んでいた上、父が「オレは家に帰れるよ!」と言い張っていたので、姉妹の近くの施設に呼び寄せることは考えられませんでした。再脱走怖すぎる。

検討してみた (老健+自宅+老健+自宅ローテション)
地元の同級生に話を聞くと、老健+自宅+老健+自宅…というローテンションをしているという人もいました。老健で3ヶ月、そのあと自宅で3日過ごし、また同じ老健に戻るを繰り返すのだそうです。あぁ、わたしたちにとって、あの実家で父を介護するのは考えらないことでした。だからこそ、ほぼ実家を片付けきって空き家にしたとも言えます。

2017年7月の姉妹LINE報告より

わたしのLINEより
今回は、レンタカーで実家まで行ってきました。区費の支払いをして、近所2件と親戚2件に挨拶に行って、お父さんの近況を伝えました。お花をもらったので、お墓参り行ってきました。庭はすごい雑草で、除草剤を撒いておきました。明日は町役場で、介護保険や医療保険の限度額認定などの手続きを済ませて、お父さんと面会して帰ります。また報告するね。

梅雨のせいかキッチンのカビがひどくて、窓枠や木のドアもカビていました。とりあえずアルコールでふいてみました。どんな効果が?かろうじて2階は大丈夫だったので、2階で寝ます。ここの布団は寝ても大丈夫なのかな?ガス使えず(ガスは基本料金が高いので契約を切っています)お風呂に入れないので、泊まれるのは1泊が限界かなぁ。家って、一気にダメになるね。

翌日のLINEより
お父さんに会いに行ってきました。相変わらず元気でした。お母さんの写真を持っていったら、「おう!お母さんは元気にしとるかー?」と言ったので、ちょっとびっくり。久しぶりに写真を見たからかねー。とりあえずお母さんが16年前に亡くなった話はしました。あまり驚いていなかったので、言われたら思い出したんだね。施設の人には機嫌よく挨拶してました。

姉妹LINEでは、こんな会話が続きました。この換気の悪い実家に父を戻せるはずもありません。かといって次の施設探しは、八方ふさがりに見えました。
父の施設入所のつづきは下記より。次の行き先探しに光明が?




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