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どうする?父親の施設入所17 コロナ禍

2020年2月末。
コロナ禍で施設の面会ができなくなりました。もちろん外泊も外出もできません。電話で聞く父の様子は、

  • 部屋移動があったけれど、元の部屋に行ってしまい、他人の服を着たりしている。

  • リビングのソファで小説を読んでいる。でも、どんな話かは説明できないいみたい。

  • 送ってくれる雑誌を受け取る時は、いつもうれしそう。

  • 隣の席のおじさんとは仲良くしていて、2人で「スタッフにお金を借りて、タクシーで家に帰ろうやー」と言い合っている。(実行はしない)

父は、それはそれは自宅に帰りたいと思っていたことでしょう。父宛に書く私の手紙はいつも同じ内容。「今はコロナでどこもかしこも閉鎖されている。そういう具合だから家にはまだ帰れない。会えなくてごめんなさい」と。幸い父の認知機能はそれほど衰えていないので、手紙は読めて、会えない理由もわかっているようでした。コロナ禍で、父があの自宅ではなく施設にいて、介護を受けていることは本当にありがたかったです。

書籍に同封した父への手紙。毎回、同じことしか書いてない

家族も行動制限を受ける
施設でもマスクが不足していると聞いて、手作りマスクを送ってみたり、家中をひたすら除菌してみたり。今思えば、不必要な行動もあったかもしれません。都市部に住むわたしの周囲ではクラスターが発生し、都道府県をまたぐ移動の規制もあって、まったく実家方面に行くことができませんでした。2020年5月ごろにはZOOMで面会ができるようになった施設や病院もありましたが、父の施設はネット環境の整備は進まずじまい。


2020年6月末
やっと一部面会解除になり、妹夫婦が面会に行きました。5分の面会の間中、父は繰り返し、
「もう本当に家に帰っても大丈夫やー。家の前の河原を歩いたら元気になる」と言い続けていたそうです。施設の外周でさえ散歩できなくなり、帰宅したい気持ちが募ったのだと思います。運動不足の父は、足元がおぼつかなくなっていました。

2020年8月
施設で父が転倒し、足の付け根を痛めたあと、発熱して肺炎を起こしました。肺炎が収まったころには、父は車いすの生活になっていました。わたしは外科でしっかり治してもらいたい、そのためなら外部入院もさせたいと思っていましたが、何が原因というわけではない全身の筋力の衰えなので、入院外科治療すれば良くなるという状態でもありませんでした。明らかな疾病でなく、こうして車いす生活になるのか…。

姉は何度も「頭と体の老化速度が、緩やかに同じぐらいがいい」と言います。体だけ治しても、頭がそれについていかなければ、結果は同じだと。リハビリをしようという意思がなければ、治した体も結局ダメになっていくということです。このころ父の体と頭は、同じように緩やかに落ちていっているようでしたが、それはむしろ幸福なことなのだと思うようになりました。
父の施設入所。つづきは下記より。医師から突然の話がありました。


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