どうする?父親の施設入所10 免罪符
精神科病棟入院中のホテル外泊、大丈夫でした!
脳梗塞で入院したあと、①中央病院→②療養型病院(脱走)→③精神科病棟に入院中の父親と、1泊2日でホテルに泊まりました。わたしの自宅からは、約500キロ離れた道のり。夫ともども疲れ切った弾丸旅行でした。
旅行の詳細は、こちら
https://note.com/hoho1064/n/nf9f1384e1643
わたしの記憶の中で、この時の父との会話は今も鮮明です。入院以来、外に出ることができない父、帰りたがっても帰れない父をなぐさめるつもりでした。振り返ると、こうした一つ一つが、わたし自身の気持ちを納得させる方法だったのだと気づきます。
わたしたち姉妹は、施設入所を断固拒否している父が入所するには、脳梗塞での緊急入院、これが唯一の機会だと思っていました。「次はない!次を待って自宅に戻したら、寒い冬に自宅で冷たくなっている父しか思い浮かばない」。
姉妹でそう決めていても、家族が自宅で面倒をみることが多い田舎のこと。近所の人はもとより年老いた親族たちも、緊急入院後、自宅に帰れない父を気の毒がっていました。娘たちは結婚で遠くに行った。そばにいないからこんなことになる、実家をさっさと片付けたから戻れないのだと。
(実家じまいの詳細は、下記より)https://note.com/hoho1064/n/nf9f1384e1643
わたしはその人たちに向かって「そんなこと言ったって、誰がつきっきりでお父さんの面倒みるのよ!誰があの実家の始末をしてくれるのよ!」と心の中で叫びながら、表面では笑顔で「年始にお父さんとホテルで一泊してきたのよ。たくさん食べて、本当にご機嫌だった。寒い時期にあの家は、体に障るから」と嘘いつわりなく言い切ることができることにほっとしていました。
自分自身の罪悪感を軽減させ、父を気にかける人たちの心も安らぐ。ちょっとした免罪符のようでした。
「傾聴ボランティア」や「認知症カフェボランティア」も、もう一つの免罪符です。2017年。父が認知症病院に入院してしまってから、わたしが面会に行くのは月1回だけ。遠距離介護といっても、実家に関する負担は格段に下がりました。また仕事を見つけることもできるでしょう。
遠距離介護は、親のところに帰った時の自分と、自宅にいる自分との乖離に、戸惑いや疲れるを覚えることがあります。介護をしている自分自身も更年期を迎え、生活習慣病を抱えているので、
・実家と自宅の気温差。
・実家内でのヒートショック。カビなどによるアレルギー発作。
・長時間移動によるエコノミー症候群。
などが原因で身体へのダメージをリアルに感じました。乗り物酔いと熱中症と過呼吸が重なって、救急車で病院に運ばれたこともありました。
一方想定外だったのは、メンタル面。実家での自分と自宅での自分の心の乖離です。当時のわたしは、自分がコントロールできる快適な自宅で、食べたいものを食べ、自由に外出し、趣味や交友を楽しんでいる自分に罪悪感を抱いていました。「傾聴ボランティア」や「認知症カフェボランティア」に手を出したのは、認知症への知識を深めたり、サポーターになりたいというより、父を直接介護できない罪悪感を軽減しようともがいていたからかもしれません。そういう意味では、これらのボランティアも罪悪感への免罪符のひとつとなりました。
父の施設入所つづきは下記より。また転院先を探します。