どうする?負動産の実家6「この家には住めない」
おとうさんの物忘れがはじまって半年。
2014年10月に介護認定も受けて、ヘルパーさんの派遣がはじまり、わたしたちの遠距離介護、遠隔操作介護がはじまりました。一番近いスーパーでさえ、峠を越えて車で20分。帰省のたびに、その不便さを実感するようになりました。
車がなければ、買い物や医療へのアクセスを含め、あらゆるものから見放されているような気がしました。
あるだろうと思っていた生協さんの配食サービスでさえ、配達区域ではないと断られたのです。
わたしたち姉妹の共通の認識
・買い物難民、通院難民のこの村で、
物忘れが進んだ父はひとりで暮らせない。
・真冬は、家の中でも氷点下になるこの家に、
今後、わたしたちが住むことはない。
・木造戸建ては、換気しないとすぐに傷む。
・廃屋を解体するのは、お金がかかる。
2015年の半ばには、こんなことが、わたしたち姉妹の共通の認識になっていました。
当初、妹は、
「この家は、夏休みに帰省するから、そのままおいておきたい」と言っていました。
夏の楽しい思い出は、たくさんあって、
バーベキューや、川遊び、魚釣りなど、
都市のマンション暮らしでは叶わない、
「ザ・夏休み」そのものでした。
その思い出が、そういう言葉になったのでしょう。家は妹が単独で相続しても良いとも思いましたが、1年以上の遠距離介護の間に、妹のそんな気持ちも次第に消えていったようです。
父が敷きっぱなしの布団の下は、カビが生えていて、畳交換することになったり、
階段の一部がボロボロ崩れるから、調べてもらったらシロアリがいて、シロアリ駆除をすることになったり、(※階段の踏み板がボロボロ崩壊していたのは、キクイムシでした。)
使われない庭や畑は、雑草が生い茂り、帰省のたびに除草剤を撒いたり、草抜きしても(黒いシートで覆ってみたりもしてました)、際限がなくて、近隣に迷惑をかけていたり。
台風のたびに、古い屋根瓦や雨戸の一部が吹き飛ばないかと心配は尽きませんでしたから。
古屋の解体予算
国道沿いの実家は、道路を挟んで向かいに別棟があり、父が自営業を営んでいたプレハブの建物も含めると3棟の解体になります。
国道に廃材が飛び散らないよう、すべてを覆っての解体作業は、3百万円を下らないことが見込まれていました。
近隣では、3~40年放置された廃屋もありましたが、2015年に「空家等対策特別措置法」が、施行され、今までのように廃屋のまま、朽ちるのを待つわけにはいかないと話題になっていました。
じゃあどうする?
実家を片付ける。
↓
父が住まなくなったら、人に貸す。
↓
父が亡くなったら、売る。
果たして、そんなにうまく行くんでしょうか?
さあ、実家じまいのスタートです。つづきは下記より。