![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152872874/rectangle_large_type_2_0567ec986f261651b6b7830e12b2744e.jpeg?width=1200)
どうする?父親の施設入所13 老健の面会
2017年5月。
父は、2016年秋に脳梗塞で緊急入院して、①中央病院→②療養型病院→③精神科病棟→④介護老人保健施設と転院をつづけました。父の老健生活の続きをお話します。
面会は?
父が入った介護老人保健施設は、面会の規定が緩やかでした(2017年当時)。近くに住んでいる家族が毎日のように面会に来ている人もいました。手続きは、直接施設に行って、面会者名簿に記載するだけ。
父のところへは、わたしたち姉妹が月1回面会に行くのに加え、親族や友人も時々面会に来てくれていました。小学校の同級生Kさんは、80歳。自動車で40分ほどの父の施設に、何度も来てくれました。父は「2時間ぐらいしゃべっとった~。」ととても嬉しそう。興奮するとつい声が大きくなる父が、どれだけ騒いでいたかと思うと気が気ではありませんでしたが…。
自宅にいた頃の父は、中学、高校の同級生とも付きあいがありました。施設入所後は「小学校の友達がええなぁ」→「小学校の友達だけでええわ」と言うようになり、それ以外の面会を嫌がるようになりました。小学校の同級生だけが、体が不自由になり記憶もあいまいで、元の自分ではない自分を受け入れてくれると思えたのかもしれません。
同級生が一緒に作ってくれた看板
父の仕事じまいの記事で書きましたが、父が70歳を過ぎてから、仕事の看板を新たに作っていて、わたしが呆れたことがありました。https://note.com/hoho1064/n/n3d85d980c72f
ある時、小学校の同級生のKさんが、わたしに話してくれたエピソード。
「お父さんは、だんだん仕事が減って、元気もなくなってた時があってん。それでおいちゃんらが、新しい看板作って宣伝したらええがな!って言うて、みんなで看板屋さんに作ってもらいに行って、軽トラで持って帰ってきてんで!あの看板がそれや!」
あぁ、そうだったんだ。わたしたちには強気の面しか見せない父だけど、小学校の同級生に相談して「新しい看板作ろう!」と言われて作ったんだね。そうかそれで、わたしが「今更、新しい看板なんて、お父さんどういうことよ!」と言った時に黙っていたのか。
父は父なりに精一杯、自分を鼓舞しようと思っていたのでしょう。思い出してもほっこり、ほろ苦いエピソードです。わたしにもきっとそんなことがある。子どもには理解されない自分なりの葛藤を、友達にだけ打ち明けることが。耳を傾けてくれる友達がいるのは、幸せなことですね。
父の施設入所のつづきは下記より。老健は3ヶ月が基本、どうする?