ここに映画があるから10 『Perfect Days』
2025年1月1日。配信Amazon primeで視聴。
役所広司主演、ヴェンダース監督のこの映画で1年をスタートしました。あまりにもPerfectな年始になったので、じっくり味わいたくて、この映画を自分の言葉で書き起こしてみます。わたしの感想交じりの個人的なものです。
古いアパートの一室で寝ている男・平山。朝は、2階の窓から聞こえる箒の音で目覚める。近所の老婆がきまって街路を掃いている。窓の外はほんのり明るくなってきた。
壁の一面には本棚。それ以外は物が極端に少ないがらんとした部屋。掛布団を畳み、その上に枕を乗せ、敷布団を畳み部屋の左隅に積んでおく。階段をタンタンと駆け降りて、ガシガシと歯を磨き、ひげを整える。
2階には小さな植物たちのためにひと部屋がある。仕事先で見つけて持ち帰ったらしい。植物に水を吹きかけ、しばし眺める。
壁に掛った青い制服を着て、タオルを首に巻き、携帯電話、カメラ、車の鍵、小銭を持って家を出る。空を見上げる。部屋の鍵は掛けない。門灯はついたままだ。盗られるものは何一つないということか、誰か待ち人があるのか、その理由は明かされていない。手に持った小銭で自販機のコーヒーを買う。平山の動きは流れるように美しいリズムを刻んでいる。
ミニバンに乗ったら、カーステレオにカセットテープを差し込む。スカイツリーを見上げたところで再生する。古いブルースが流れる。「朝日のあたる家」。車は都内を走って、仕事先である公衆トイレに到着する。ミニバンの中から掃除道具、鍵の束を出し、トイレ掃除に向かう。ゴミを集め、便座・洗面台を磨き、床を拭く。細部まで掃除残しがないように、念入りに磨き上げる。
昼食は公園でコンビニのサンドイッチ。木々をわたるそよ風や木漏れ日をフィルムカメラに収める。
都内にある最新式のモダンな公衆トイレ。それを掃除して回る平山。人々は、このトイレ清掃人がいないかのようにふるまう。あるいは触れてはいけないもののようにふるまう。彼が運転するカーステレオから流れるブルースは、車の流れに合わせてゆったりしたリズムを刻む。町並みや人々が通り過ぎてゆく。
これはいけない。恐ろしく陶酔してしまう。
彼は、陽のあるうちに帰宅して制服を脱ぐ。洗面器とタオルを持って自転車に乗る。
この自転車のリズムがまたいい。
銭湯の開く時間ぴったりに着いて、一番風呂に入る。晩御飯は浅草駅地下街の一杯飲み屋だ。店主が「おかえり!お疲れさん」と声をかけてくれる。
これはいい。彼は自らを閉じているわけではないし、交わりたくないわけでもない。目にする自然や、人々の営み、息遣いを味わって生きている。しかし深くはかかわりたくないのだろう。
夜。彼は布団を敷き、枕もとのスタンドの灯りで本を読む。まぶたが重くなってきたら、本を閉じ灯りを消す。彼の眠りの中では、今日の光景や読んだ本の一節がちらちらと浮かんでいる。
そしてまた一日が始まる。まったく同じように見える一日。スカイツリーを見上げたあとにカーステレオから流れるのは「ドック・オブ・ザ・ベイ」。日によって曲は違うし、彼が出会う人も街も違う一日がはじまる。
今日は、いい加減な同僚のタカシとそのGFのアヤちゃんを車に乗せることになった。ステレオからはパティ・スミスの「Redondo Beach」。タカシに頼まれて仕方なく金を貸す。どうせその金は、あぶくと消えてしまうのだろう。
仕事終わりには、ローリング・ストーンズ「めざめぬ街」。テンポの良い音楽に合わせて珍しく気分が盛り上がる。…あれ、ガス欠しちゃったよ。今日は、イレギュラーが多い一日でちょっと落ち込む。
また翌朝。今朝の曲は、金延幸子「青い魚」。昨晩の落ち込みのせいか、アンニュイな曲が東京の夜明けを彩っている。仕事中にタカシのGFのアヤちゃんが、カセットテープを返しに来る。
別れ際に、アヤちゃんにほっぺにチュッとされる。なぜだ?今日は銭湯に入っていても、顔がニヤける。西日の差し込む部屋に帰って聴くのは、ルー・リードの「パーフェクト・デイ」。「今日は完璧な一日だった」とラジカセから優しい声が流れてくる。一杯飲み屋で酒を飲んでいてもニヤける。あぁなんてPerfectな一日だ。
休日。箒の音で目覚めることもない。いつもより少し遅い朝。男はルーティンをこなしたら、制服や下着、タオルをカバンに詰め、今日は時計を身に着けて家を出る。神社でお参りしたあと、商店街のコインランドリーに行く。洗濯を済ませる間に、街の写真屋でフィルムを現像に出し、新しいフィルムをカメラに収める。先週出した写真を受け取る。
部屋に戻って、寝室を掃き清め、写真を分別する。流れているのはザ・キングス「サニー・アフタヌーン」。彼は夕方の街にでかけ、古本屋で1冊100円の文庫本を買う。これもまたルーティンだ。古本を手にスナックのカウンターに座る。スナックの美しいママは、無口なこの男のことを気に入っている。
彼は、平日・休日とこのルーティンを繰り返す。あらゆることにきちんと順番があって淀みなく、おおよそ慌てることも忘れることもなく。それでも時々予定外のこと、心ざわめくことが起きる。
長年会っていなかった妹の娘(姪)が訪ねてくる。
同僚のタカシが仕事をやめる。
スナックのママが男と忍び逢っている。
平山の静かだった日常が崩れる。その過程で、彼の物がないすっきりした住まいは、元からそうではなかったと分かってくる。1階の台所には山と荷物が積み重なっている。
さて、どうなることやら?
この映画のすばらしさは、観る者がいとも自然に、ある男の日常に入っていくことである。このひと時、彼に寄り添って生きていく、自分と違う人生を体験する。このめまいがするような没入感をどう例えたらいいだろう。あまりない映画体験だ。
彼の生活は人々が一番望む生活であり、一番望まない生活でもある。背反する人生が一人の中に同居している。誰もが彼の幸福なシンプルさを望み、誰もが彼の仕事を望まないだろう。
今日も一日が始まる。
カーステレオからは「Feeling Good」が流れる。東京の街に朝日が昇る。
※姪が読んでいた本は、パトリシア・ハイスミスの「11の物語」。