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父はADHD?4 溺れたら泳げる、なんてとんでもない!

わたしの父の、あるある話の続きです。
わたしが幼稚園の頃なので、かれこれ50年以上も前のことですが、父が人生で唯一サラリーマンに近かった時期があります。それは地元中学の代用教員でした。父は教員免許は持っていないので、たぶん正式な代用教員でもなかったと思いますが、昔の田舎のことなので、そんなこともありだったのでしょう。

お昼前になるとわたしと姉は、中学校までよくお弁当を届けていました。たぶん父が持って行き忘れたんだと思います。昼休みの学校で、父は中学生と夢中になって遊んでいました。鉄棒をしたり、バレーボールをしたり。きっと安全への配慮はできていなかっただろうなぁと今のわたしは想像します。

小学1年生の時、どれだけ教えられてもまったく泳げなかったわたしを、父は川で溺れさせました。父は「溺れたら泳げるようになる!」と言い放ち、川に投げ込まれたわたしは溺れて、川下にいた釣り人に助けられました。それからしばらく溺れる夢をよくみました。泳げるようになった今でも、息ができないまま水に沈んでいく自分の姿が、フラッシュバックする時があります。母がそのことを父に注意した記憶はありません。気の小さい母は、気分屋の父の機嫌を損ねることを恐れていたので、父に面と向かって注意するなんてことは、一度もありませんでした。

父に、孫を川で遊ばせてもらったことがあります。私が「溺れても泳げるようにはならないから、絶対目を離さないでね」と言ったら、父はちょっとバツの悪そうな顔をして、うなずきました。

私が様子を見に行くと、孫を浮輪に入れ、浮輪に繋いだロープの端を握って、父自身は素潜りで川底の鮎をせっせと観察していました。溺れさせはしないけれど、自分の楽しみに夢中な父でした。

わたしが中学に入った時に数名の先生から声をかけられ、「お父さんは教えるのがうまい、いい先生だった」と聞いたので、お役に立ててはいたのでしょう。けれど、教員資格を取って学校に勤めるのは、まったく不向きだったと思うので、自営業開業に辿り着けて良かったです。
お父さんはADHD? つづきは下記より






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