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父はADHD?17 受けるトラウマは人それぞれ

2年前に亡くなった父。ADHDだっただろう父の感情爆発について、このnoteに書きましたが、書きながら改めて気づいたことがありました。それは姉と私では受けたトラウマが全く違ったということです。

37歳の時に生死をさまよう手術をした後、母は心身ともに脆弱でした。その母にADHDの父が行った言葉の暴力、無関心、無配慮を今も許せない気持ちで思い出します。

子どもの頃のわたしは、母を気の毒に思いながらも「お母さんはもっと言い返せばいいのに!わたしならもっと闘う!」と父への反抗心を募らせていました。

そんなわたしに比べて姉は、いつも母に寄り添い、母と同じく黙って泣いていました。そんな姉の傍らで「わたしは絶対、泣かない!お父さんの大声なんかに負けない!」と思っていました。

大学受験や結婚などの人生の岐路で、父が姉にしたことを苦い気持ちで思い出します。希望の学部に受からず浪人した姉と、一つ違いのわたしは、ともに受験生になりました。姉は予備校生、わたしは高校3の1年間を実家を離れて二人で暮らしていました(実家が田舎過ぎて予備校に通えなかったからです)。

いつもモタモタしているわたしは、家事の多くを姉にやってもらって呑気な受験生でした。わたしたちが二人で暮らしているマンションに、わたしの同級生がやってきて、姉が作ったパスタをみんなで食べるなんてことも当たり前にあって、姉は受験生でありながら家事もほぼ全部負っていたのです。

その結果、予備校に通っていた姉は、受験した大学すべてに落ちてしまい、すべて落ちたと判明した日、父が
「お前は1年間、何しとったんじゃー!」と姉に最大級の怒声をあげ、裏のガラス戸を思いっきりガッシャーんと締めて家を飛び出し、ガラス戸が割れる事件がありました。その時も姉は一言も言い返しませんでした。言い訳しようと思えば、妹が家事の一切を姉に任せていたことなど、わたしがその立場なら言っただろうことを一言も。

自分が親になってみて、父が姉によくもそんな態度をとれたものだと呆れるばかりです。いくら親といえども失意の人に対してとる態度ではない。

運よくいくつかの大学に引っかかっていたわたしは、「あぁわたし、全部お姉ちゃんにやってもらってた」と申し訳なさで一杯でした。いつまで経ってもわたしは、姉と一緒にいると一方的にお世話される側。

姉が結婚する前、父は姉が結婚して遠くに行くことを心よく思わず「結婚話を断固聞かない!結婚話が出たら不機嫌に家を飛び出す」態度に出ていました。頑なな父の態度に姉と母は「何年でも待つ」と言います。「いやいやそんなことしなくていいよー、お父さんに言ってあげるよ!」と、わたしはここぞとばかりに父を説得しました。

父にひとこと言うのも、それで父が爆発するのもわたしは平気です。一応、田舎に住んでいてもリベラル派を標榜していた父は、「長女だから遠くに嫁に行くな!」という論理に正当性がないのは頭でわかっていたので、ものすごく不本意ながら結婚を許すことになったのです。「じゃあ次の休みに彼に会いに来てもらうからね!」とわたしが宣言した時の父の無念そうな顔。
父はADHD? 続きは下記より。いつもお読みくださりありがとうございます。


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