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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第9話 「気合でがんばるとか、失敗から学ぶとか、できない子達なんです」


(ご理解、ご賛同いただけたら、周りの方に伝えたり、この投稿をシェアしていただけるとうれしいです。)

長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。
強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。


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娘が場面緘黙症と初めて診断されたとき、ドクターが教えてくれた言葉があります。

「気合いでがんばるとか、失敗から学ぶとか、できない子達なんです。」


あの言葉から10年が経とうとしている今、いろいろな時を通じてこの言葉の意味がよく分かるようになりました。

社会では、「気合いでがんばる」ことや「失敗から学ぶ」ことは、その人の成長や次へのステップにとってプラスであるニュアンスに聞こえます。
でも娘たちのようなタイプの子には、それを求めることは後のプラスには繋がりにくいということなのかなと思います。

生きづらさを持つ人はむしろ、がんばりが多すぎるとも言えます。

例えば普通は気にも留めないような音、光、感触、味、匂いなどの感覚に強く刺激され、人の目線や言葉にも敏感に反応し、心は安らぎをなかなか得られません。
トラウマになりやすい傾向もあるため、過ぎた過去の不安や恐れとも向き合います。
リアリティーのある想像力の豊かさにより、起きてもいない事柄やないものへの恐怖心が強い場合もあります。

それでもその不安や心配事を誰かに伝えたり、助けを求めることができません。

でも周りを見ればみんな上手にやっている。

教室に、「ただいる」だけでとてもがんばっているということも多いのです。

集団場面ではとてもとてもがんばってなんとかやっているかもしれません。
しかし、その行きすぎたがんばりは大きな疲労、ストレスとなり、身体症状となって現れたり、家で荒れたり、不登校や不安障害を引き起こすなど、二次的な問題を生じてしまうことがあると思うのです。
失敗も同じです。

実際娘は、小さな小さなステップを時間をかけて築いても、たった一度の、本人の意図しないチャレンジによって最初のスタートラインよりも後退し、再度スタートラインには立てなくなるという経験を幾度もしました。

時には、たかがそれくらいのことで!と言いたくなることもあります。
でもそんなとき、幼かった娘はこう言いました。

「いくつも抱えてるんだから…。」

その時起きたことは何かひとつの出来事のようにも見えますが、抱えている幾つものことは繋がり、小さな肩にどっさりとのしかかっているのです。

「みんなだってがんばってるのに!」とか、「誰だって辛いよ!」というメッセージはすごく苦しい言葉です。
本人も、それはよく分かっています。
でも、同じように

「私だってがんばってるのに!」「私だって辛いよ!」そう心は叫んでいるかもしれません。

真の理解は、そこに見えているものだけを見るのでは足りない。
それは、私自身にも言い聞かせながら理解をし、また理解を広げていきたいです。

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例は、娘のケースです。
すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じています。

(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。


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hohimaro ほひまろ|おうち育ち実践中
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