[場面緘黙症・緘動また発達障害・不安障害・不登校などの生き辛さ]への理解 第35話 「長い目あたたかい目」
長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。
二女は10歳の時、分離不安障害と診断を受けました。
我が家の3人の娘たちは家庭を中心に過ごしています。
※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように
動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
症状や困難さはそれぞれかと思いますが、我が家の場合を伝えていきます。
9月が始まりましたね。
今日から新学期を迎えたお子さんも多いことでしょう。
私が、娘について専門医を受診しようと決めたのも、娘との同伴登校を決めたのも、夏休みでした。
幼稚園や学校に通えること以外に選択肢のなかったかつての私には、長い夏休み明け、いかに無事2学期の登園、登校を叶えるかが重要課題でした。
そのために、夏休み中にもお預かり保育を頼んだり、1年生の夏休みには、2学期から下の娘をつれての同伴登校を決め校長先生に許可をもらいました。
結果的に、娘は2学期以降もサポートを受けながら通い続けましたが、1年生が終わる頃には、学校には行けない状態になりました。
今となり当時を思い返せば、私はとても急いでいたなぁと感じます。
学校へ通うことに執着し焦っていました。
また、先生方始め、娘たちに関わり支援してくれる人たちに頑張る姿を見せなければという思いにもかられていました。
長女が場面緘黙症・緘動と診断され、初めて相談員を担当してくださった方にこんな言葉をかけてもらったことがあります。
『年単位で見ていきましょう』
その言葉を聞いて私は、「就学まで1年ほどしかないこの時期に『年単位』なんて悠長なことを!」
そう思いました。
あの言葉から10年。
この10年の間に、あの頃とは違う、学校や先生方との関わり方ができるようになりました。
この10年は、まるで進歩のないような日々だったり、何歩も何歩も後ずさりしたり、かと思えば急発進して駆け出したり、また止まってしまったり。
でもその時間の中で、たとえゆっくりでも遠回りでも、娘たちそれぞれの歩みが確かにあったと思っています。
あのときかけてもらった『年単位』という言葉は、まさにその通りだったなぁと感じています。
今日と言う日はたった一日。
だけど、長い目で見れば、そのたった一日は今日だけではありません。
明日にも、来週にも来年にも、毎日新しい今日がやって来ます。
今日、スタートを切ることが難しい子を『長い目』で見る。
そして、『長い目』で見ながらサポートしようとしている人を、『あたたかい目』で見る。
とても必要なことだと思います。
かけがえのない今日を大切にしたい。