[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第14話 「診断名」
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長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※1)を発症しました。二女は8歳の時分離不安障害(※2)と診断されました。
※1:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
※2:分離不安障害とは愛着のある人物や場所から離れることに対し、過剰な不安と苦痛を感じる精神医学的障害のひとつ。
症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。
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しゃべれなかったあの頃。
動けなかったあの頃。
パニックになっていたあの頃。
娘は「自分に病名がほしいと思っていた」と教えてくれました。
病名があれば、それは病気のせいなんだと理解できる。
しゃべりたくなくてしゃべらないわけじゃない。
動きたいのに動けない。
冷静でいたいのにパニックになってしまう。
終わりたいのに終われない。
そうなりたくてなっているわけではないのに、病名のない自分は、
「普通なのに おかしい」
「普通なのに みんなのようにはできない」
そう感じていたから。
それから娘はいろいろな経験をし、年齢を重ね、自分について少しずつ客観的に理解し、自分につけられた診断名を知りました。
しかし時が経ち、病名がほしかったあの頃と思いは少し違うようです。
見た目にはわからない。
できる場所やできる人の前では、できることもある。
大丈夫に見える。
そういう見えない、伝わりにくい生きづらさにつけられる診断名があっても、それが少しでも生きやすさになるという実感はあまりないのかもしれません。
また、
そんなことは誰にだってあること。
それをいいわけにして、やらないのではダメ。
努力すればできるようになる。
そんな空気も分かる歳になったのかもしれません。
また、このような生きづらさにつけられる診断名へのイメージもあるのかもしれません。
同じ診断名でも表れる症状や状態は似ていることはあっても、まるで同じということはありません。
メディアで見かける、自分と同じ診断名を持つ人が困っていることは、自分には当てはまらないことも多いだろうし、その人には有効な解決策でも、それは自分にとってはとても無理なことという場合もあるでしょう。
「私はインフルエンザです」
と言われれば、その人の助けになりそうなことは見当がつきます。
でも、たとえば
「私は自閉症スペクトラム障害です」
では、その人は何に困り、どんな事が出来て、出来ないのか、どんなサポートが必要なのか、診断名だけではぴんと来ないかもしれません。
そして、
インフルエンザには治療薬があり、時が経てば完治するけれど、障害による生きづらさに、それはありません。
だから名前は要らないと思っているわけではないと思います。
自分をより理解して生きるためには、診断名や傾向を知ることは大切です。
ただ、それを誰かに理解してもらおうということには苦しみを伴うことも経験しました。
また、たとえ理解してもらったとしても
結局は自分。
自分に備わっている、あるいは日々努力し培った才能があり、恵まれた環境があっても、自分自身の凹のためにその力を発揮できない時間を悔しい思いで見つめる時間も経験しました。
そういうことに気付き始め、時には苦しみの沼にはまっても、そこで見つける光を集めて前を向き直せる強さも私はしっかり見ています。
自分の凸を知って活かし、がんばっても埋められない凹を周囲に素直にサポートしてもらえる強さを、これからの成長過程で身に付けてほしいなと思います。
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例は、娘のケースです。
すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じています。
(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。