【考察】バイオハザードは「暗黒路線」に回帰するのか?
「いやだ!戻りたくない!」
今年の3月、『バイオハザード RE:4』のEDを見て僕は二重の意味でそう思った。
一つは、この素晴らしいゲーム作品による充実した体験が「終わり」を迎えてしまったことで、再び退屈な現実へと帰らなければならない寂しさから。
もう一つは、スタッフロール後の画面に現れた、見覚えのある金髪サングラス野郎の姿を目にした瞬間に、この作品はあくまで「始まり」に過ぎず、シリーズは再びシューター路線に回帰するのではないか、という考えが頭をよぎったからだ。
というのも、オリジナル版(GC)の本編ではウェスカーは全く登場しておらず、のちにPS2への移植の際に追加された、エイダが主役のサイドストーリー『The Another Order』にて、実は裏で糸を引いていたことが分かるという程度の扱いに過ぎなかったが、今回のリメイクでは本編の中に入ってきた。
もしや『バイオハザード5』もリメイクされるのか?
と思ったプレイヤーは僕だけではないだろう。
ここ数年の作品群を眺めていると、『バイオハザード RE:3』、『バイオハザード ヴィレッジ』、そして『バイオハザード RE:4』と徐々にアクション色が強くなっていることも、その考えを助長させている。
また、非対称対戦の『バイオハザード レジスタンス』、対戦型シューターの『バイオハザード RE:バース』といった作品を見て(その完成度はともかく)、カプコンがマルチシューターに対して非常に意欲的であると捉えるのは早計であろうか。
今後シリーズがどのような姿勢を見せるかについては、まだあまりにも情報が少なすぎるが、アクション色の強いマルチシューターとしての『バイオハザード RE:5』、もしくはそれに準ずるナンバリング最新作を作れる土壌が徐々に整ってきているのは疑いようのない事実と見てもよさそうだ。
しかし、いくら近年イケイケのバイオ開発チームとはいえ、シューター路線に再びチャレンジすることに関しては1ユーザーとして不安を感じざるを得ない。
というのも、その路線に特化した『バイオハザード5』と『バイオハザード6』、さらに関連作の『バイオハザード オペレーション・ラクーンシティ』や『バイオハザード アンブレラコア』がどんな末路を辿ったのかを、僕は既に見てきているからだ。
特にナンバリングの2作は、やらされている感が強い協力プレイ、ホラーゲームをやっていることを忘れてしまうようなカバー主体の銃撃戦、ストレスしか生まないのに乱発されるQTE、シューターなのに敵を撃つのが気持ち良くないなどといった数々の問題点を抱えており、サバイバルホラーとしてもシューターとしても微妙な出来だった。
友達とマルチで遊べるゲームとしてはちょうど良かったのかもしれないが、サバイバルホラーとしての「バイオハザード」を遊びたかった僕にとっては退屈に感じられたし、正直この時期はシリーズに対してかなり興味を失っていた。べ、別に、一緒に遊ぶ友達がいなくて文句言ってるわけじゃないんだからねっ!
それらの作品のフォーマットとなったオリジナル版『バイオハザード4』は、その斬新かつ爽快なゲームプレイをマーケットに提示したことで商業的 / 批評的な大成功を収め、マンネリ感の漂っていた従来シリーズだけでなく、三人称シューターというジャンルにも新しい風を吹き込んだタイトルであったが、この大きな「成功」に対するユーザーとメーカー間での解釈のギャップが、その後10年近くシリーズが停滞することになった原因と言えそうだ。
今回、リメイクである『バイオハザード RE:4』もメタスコアが90点を超えるほど各種レビューサイトから高い評価を受け、セールス的にもリリース後2日で300万本を売り上げるなど、評価・売上、どちらの観点から見てもかなり好調のように思えるが、カプコンおよび開発陣はこれをどう受け止めて、今後のシリーズをどう展開していくのだろうか。
僕が思うに、やはりシリーズはもう一度シューター路線に向かっていくと思う。
・シューター路線に舵を切ると考える理由
端的に言えば、怖いゲームは売れないからだ。
確かに『バイオハザード7 レジデントイービル』や『バイオハザード RE:2』は、それ以前のドンパチシューター路線から一転、古き良きサバイバルホラーの原点に立ち返った傑作であり、セールス的にも1000万本以上を売り上げているなど、華々しい実績を上げているが、現状はサバイバルホラーというジャンルで訴求できる層は限界を迎えているのではないだろうか。
ホラーというジャンル自体がかなり人を選ぶものであることは、他の人気ジャンルのリリース数やアクティブユーザーを見れば一目瞭然だろう。
ところで、この記事を読んでいるあなたは、これまで「バイオハザード」以外にいくつのホラーゲームを遊んだことがあるだろうか?
今年、初代作のリメイクが出た『Dead Space』?
それとも、未だに「最恐」と謳われる『Outlast』?
まだまだ他にも候補はあるだろうが、ほぼ確実に断言できることがある。
それらの作品は「バイオハザード」よりも売れてません!
勘違いしないでいただきたいのだが、別に僕は売上厨じゃないし、個々の作品の優劣を売上で語る行為は意味は無価値だと思っている。
この事実から示したいのは、(各作品の評価はともかく)少なくとも現状は「バイオハザード」がホラーゲームという狭いジャンルの中で唯一と言ってもいいほど継続的に成功しているタイトルだということだ。
その成功要因は様々あるだろうが、個人的に重要だと考えているのは、ホラーとして一流の作品を目指していないことにあると思う。
なぜなら「バイオハザード」の醍醐味は「恐怖を乗り越えるカタルシス」にあり、恐怖体験それ自体は目的ではないからだ。
ハンドガンでは何発撃っても倒せなかったゾンビの頭をショットガンで吹き飛ばした時、ゲーム中しつこく追いかけてきた追跡者にレールガンでトドメを刺した時、崩壊する研究所から脱出して爽やかな朝日を浴びた時など、シリーズを遊んでいて幾度となく感じた「緊張」と「解放」のメリハリをゲーム的な達成感と結びつけるバランス感覚に優れているからこそ、「バイオハザード」はホラーというニッチなジャンルのゲームでありながらも、長い間多くのゲーマーに愛されているのではないかと思う。
つまり、本シリーズにおける恐怖はそれ自体が目的ではなく、あくまでゲーム的な「越えるべき壁」として存在しているため、ただ「怖かった」で終わってしまってはシリーズの本質的な魅力が伝わらず、リピートに繋がらない。
個人的な話で恐縮なのだが、知人に『バイオハザード7 レジデントイービル』を「YouTubeのゲーム実況で済ませた」という人が多くいて、どうして自分でプレイしないのかを尋ねたことがあるのだが、「怖くて自分ではプレイできそうにないから」という意見が大半を占めていた。
有名配信者による実況動画のコメント欄やTwitter、5chなどのコミュニティでもそういった意見が散見されたので、やはり怖すぎるゲームは、他人がプレイしているのを見ている分には良いが、自分でプレイするには敷居が高いと感じる人が多いのだろう。
だからこそ『バイオハザード ヴィレッジ』のプロモーションでは「怖いゲームじゃない」ということを強調していたし、『バイオハザード RE:4』での世界名作劇場パロディなどは、ホラーゲームが好きな層以外にも手に取ってもらうための努力だと思う。
ゲーム内容としても、恐怖を楽しむホラーアトラクション色を強めているのは明らかだ。
弾薬や回復アイテムといったリソースを管理しながら襲いくる敵をどうやって切り抜けるか、敵に追いかけられながら悪ふざけで作ったとしか思えないような非現実的なギミックをどうやって解くのか、など四苦八苦しつつも恐怖を乗り越える体験は、ここでしか味わえないものだと言えるだろう。
そして、この路線を踏襲して今後もシリーズを展開していくのであれば、なおのことアクションシューター色を強めていくのではないか。
襲いくる脅威に「打ち克つ」デザインになっている以上、プレイヤー的には続編でその脅威がスケールアップしていかなければマンネリを感じてしまうし、ここ数作で築き上げたアクションゲームとしての爽快感をブラッシュアップせずに、わざわざ手放してしまうのも勿体ないと感じてしまうからだ。
そして、それはプレイヤーだけでなく、開発者も同じなのではないかと思う。
サバイバルホラーである「バイオハザード」がナンバーを重ねるごとにアクション色を強めていったことに対して、シリーズ生みの親である三上氏は以下のように述べている。
確かに、作り手側としてもずっと同じものを作っていても刺激に欠けるだろうし、いろんな要素が足されて結果的にアクションゲームとして濃くなっていくのは、「こうしたらもっと面白くなる!」というサービス精神の賜物なのかもしれない。
だとしたら、なおさら今の路線を捨てることは無いと言えそうだ。
あくまで僕の考えだが、これまで進化 / 複雑化を続けてきたゲームシリーズが「原点回帰」を謳ってシンプルなゲームプレイに立ち返る時は、往々にしてシステムやストーリーを複雑/難解にしすぎて行き詰まったために一度リセットをしたいと考えた時ではないだろうか。
今の調子を見る限り、アクションシューター化の流れは止まらないと思う。
・シリーズは過去の失敗を繰り返すのか?
ここまでは再びシリーズがシューター路線に舵を切ると考える理由を述べてきた。
だが、冒頭でも書いたようにその路線にフルコミットした続編の出来が散々なモノであったことが紛れもない事実である以上、そこに回帰したところで、過去の失敗の再生産になるだけではないのかというのが僕の本音であり、今後のリリース展開について不安に感じているところだ。
僕が『バイオハザード5』と『バイオハザード6』を失敗とまで位置付けるのは、シューターとしての爽快感に乏しかったり、協力プレイを強制されたり、カットシーンを進めるためにボタンを押す作業を頻繁にやらされたりといった個々の不満点(戦闘に対する不満は以下の記事を読むと納得できるかもしれない、ぜひ読んでみてほしい)にあるわけではなく、もっと本質的な問題点を抱えているからだ。
それは恐怖(克服対象)の不在だ。
前項でも述べたとおり、「恐怖の克服」こそがサバイバルホラーとしての「バイオハザード」の醍醐味であり、脅威を克服していく主人公と、ゲームを攻略していくプレイヤーとの一体感こそが、体験としての強みだろう。
もちろん『バイオハザード5』と『バイオハザード6』にもアクションゲーム的な超える壁はあるが、その壁が恐怖由来のものであったかは疑問が残る。
両作を遊んでいて感じたのは、クリーチャーや環境による脅威よりも人間キャラクターの話の方が印象に残っていて、サバイバルホラーというよりもキャラゲー的なテイストの方が強いということだ。
悪趣味なスーツを着せられて洗脳されてしまったジルがウェスカーの僕として暗躍していたことや、クリスとレオンが互いに銃口を向けるシーンは今でも印象に残っているが、ハンターが扉を「開けて」きた時の焦燥や、脚を吹っ飛ばされたリヘナラドールがこちらに飛びかかってきたときのような生理的な嫌悪感を感じるシーンには乏しかったように思う。
その反省と言うべきなのか『バイオハザード7 レジデントイービル』では狂気に満ちたベイカー一家を得体の知れない脅威として描いていたし、『バイオハザード RE:2』では既に陳腐化していたゾンビを再び恐怖の対象として再構築してみせた。
その後の『バイオハザード ヴィレッジ』や『バイオハザード RE:4』を見る限り、「(アクション)シューターとしての快感」と「恐怖の克服」を両立させることは不可能ではないと考えられるが、それでも正直『バイオハザード5』と『バイオハザード6』のリメイクは厳しいのではないだろうか。
この2作をサバイバルホラーとして再構築するには、先述した通り、そもそもの根本的なデザインの変更を要するであろうし、仮にそうできたとしても、それほどの魔改造を施した作品がオリジナルの原型を留めていられるとも思えないからだ。
マルチシューター路線に舵を切る可能性が全く無いとは言い切れないが、リメイクという全方位から叩かれそうな見えている地雷を踏みに行くよりは、ナンバリングなり外伝作なりで様子見をしながら展開していくと考えるのが現実的ではないだろうか。
こんなアンケートも出ているくらいなので、公式としてもユーザーがシリーズに対して何を望んでいるのかには、かなり気を配っているようにも思う。個人的には『バイオハザード0』のリメイクでえっちになったレベッカちゃんを見たいです!
僕の予想が当たってるかどうかはともかく、ファンとして純粋に次回作を楽しみにしているので、DLCなり新作なり、早く次の報せを聞きたいところだ。