【パラノマサイト】ストーリーを利用した「謎解きゲーム」としての面白さが犠牲にしたもの
※この記事には2023年にリリースされたビデオゲーム『パラノマサイト FILE23 本所七不思議(以下『パラノマサイト』)』の内容に関する重大なネタバレが含まれているので、まだ未プレイの方はプレイ後に読まれることを推奨します。
安くて面白い、が?
『パラノマサイト』ほど、2023年のダークホースと呼ぶのに相応しいゲームも無いだろう。
リリースから半年が経過した今でこそ、それなりの知名度を得ている本作だが、発売前からプッシュしていた人は僕が覚えている限りだと殆どいなかった。そもそもテキストADVというジャンル自体がニッチだということもあって、全くのノーマークであった人も少なくなかったはずだ。
だが、リリースされると瞬く間に「面白い!」「絶対やるべき!」といった非常に好意的な反応がSNSやレビューサイトといった場所でチラホラ見られるようになり、それを見た人が買って絶賛、さらにそれを見た人が……という口コミの好循環に入っていったように記憶(うろ覚え)している。
当然、僕のX(旧Twitter)のTLにもそういった口コミベースの情報が沢山入ってきたわけだが、話に聞くと10時間程度のコンパクトなボリュームに加え、定価1980円という安価で購入できるとのこと。
「オカルトか〜、興味無いなぁ」くらいの気持ちでずっとスルーしていたが、安くてすぐ終わるみたいだし、こんなに盛り上がってるのにプレイしないのも勿体無いと思い、ついに僕も重い腰を上げて20%オフの時にニンテンドーeショップを立ち上げた。
結論、面白い!
デスゲーム然とした能力バトルから始まる導入でグッと物語に引き込まれたし、プレイヤーを驚かせる展開の数々には、ついついやめ時を失ってしまいそうになった。実際のところ、真エンディングを迎えるまでの10時間はあっという間に過ぎた。しかし、プレイを終えてみると、ただ絶賛したいという気分とは少し違う感情を覚えていた。
それはなぜか?
本作がゲームのフォーマットを使った物語ではなく、物語をトリックに使ったゲームだということがゲームの最終盤に提示されるからだ。
ストーリーの役割
ゲームのストーリーには2種類あると思う。
①手段としてのストーリーと
②目的としてのストーリーだ。
手段だの目的だのとワケの分からんことをブツブツと呟き始めたが、要はそのゲームがユーザーに何を体験させたいのかという話だ。話が拗れるからナラティブ云々の話は抜きにしてくれ。
ゲームの核となる「遊び」に没頭してもらう動機付けとしてのストーリーなのか、それともストーリーの山場を表現するための「遊び」なのか、と考えてもらえると分かりやすいと思う。
※①だからストーリーがつまらない、②だからゲームとしてショボい、という話はしていない。どちらの方がそのゲーム内での体験の核に近いのかというのが、ここでの論点だ。
例えば同じTPSでも「スプラトゥーン」と「アンチャーテッド」では、プレイヤーに何を体験させたいのかが大きく違ってくるはずだ。
「スプラトゥーン」のシングル用キャンペーンである「ヒーローモード」の体験の軸にあるのは、あくまで塗る/潜る/撃つといったアクションを活かした「遊び」になるだろう。それらの動作を使ってパズルを解いたり、敵を倒したりすることの方に重点が置かれており、ストーリーはあくまでそこに導くための導線のようなものだ。もちろん、そのストーリーを好きになれるかどうかは人それぞれだが。
「アンチャーテッド」は、Playする映画というキャッチコピーが示す通り、映画のような物語展開がゲームの進行を牽引する。アクション映画によくある「敵から身を潜めて行動しなければならない場面」や「敵との銃撃戦の場面」をステルスや三人称シューターといったゲーム的なフォーマットで提示している。それら単体で見るとゲームとして物足りなく感じるかもしれないが、ストーリーテリングの手法としては評価できるだろう。
話を『パラノマサイト』に戻そう。つまり僕は、本作のゲームプレイは物語のためにあると思ってプレイしていたのだが、ゲーム最終盤の一連の流れが「遊び」と「ストーリー」との優位関係を逆転させてしまったのではないかと考えたわけだ。
確かに本作の物語構造を利用したトリックには驚かされたし、これまでに散りばめられてきた気掛かりの数々が一つに収束していくのには、ある種のカタルシスを感じられた。ただ、物語上の謎が解けていく楽しさと物語の満足感が必ずしも一致するとは限らない。
「無かったこと」にする意味
僕がここまで散々言う最終盤のトリックとは、「物語の最序盤に戻って選択をやり直す」というもの(説明が雑で申し訳ない)だが、この「無かったこと」にする仕掛けが、急に物語を白けさせる。
本作のラストで物語を振り出しに戻すことには確かに必然性がある。物語冒頭で事件の黒幕である福永葉子の息の根を止めなければ、もしくは晴曼の血を継ぐ興家彰吾が解呪をしないことには、事態が収束しないからだ。だが、それまでの出来事を「無かったこと」にするというストーリー上の山場を迎えているはずなのに、それに相応しいドラマが無い。
確かに解除によって問題が根本から解決されたおかげで、物語の中心人物である津詰徹生も死なずに済んだし、逆崎約子や灯野あやめが殺人に手を染めることも無くなったというのは間違い無いのだが、それと引き換えに彼らが失ってしまったものも大きいように思う。
息子への依存から脱して新しい一歩を歩もうとする母親の成長も、死んでしまった親友とのお別れも、すれ違い続けてきた父と娘の和解も、七不思議を巡る一連の騒動があったからこそ為せたはずなのに、それを「無かったこと」にしていいのか、というモヤモヤした気持ちが残る。
また、この「無かったこと」にする選択は、物語の登場人物(たちの次元)では与り知らぬところで起きていることもこの問題を考える上では重要なポイントだ。『パラノマサイト』のストーリーにおける本当の主人公は、興家ら4人の主要人物ではなく、彼らよりも高次元の世界にいるプレイヤーだからだ。
メタフィクションの功罪
本作を語る上で欠かせないのがメタフィクションを用いたストーリーテリングだろう。『パラノマサイト』においては、「ゲームであること」を利用して物語上の仕掛けを解いていくことになる。
もちろん、ゲームであることを活かした想定外の方法で謎が解けたり、物語が展開していくことに対して驚きはするものの、プレイヤーが「プレイヤー」という立場のキャラクターを演じているということが明言されてしまうと、どうしても主人公(だと思っていた登場人物)とプレイヤーとの間に溝が出来てしまうと感じる。当然ながらプレイヤーは「プレイヤーというポッと出のキャラクター」よりも自分が操作するキャラクターに感情移入していたのだから。
そして、僕が「プレイヤー」というキャラクターを操作した末に手に入れたのは、全ての謎が解けて何事も起きなかった世界線。だけど僕はそんな世界よりも、登場人物たちが七不思議を通じて多くの葛藤の中でどんな結末を迎えたのかを見届けたかった。
だから僕は、このゲームの「ストーリーを利用した謎解き」は評価するけど、「ゲームのフォーマットを使ったストーリー」としては絶賛しきれない、というスタンスを取りたい。ゲームのストーリーって難しいね。