【考察】リメイク作品の難しさについて 〜「焼き直し」と「原作尊重」の境界線〜
最近、ゲームのリメイク作品がアツい。
今年は『バイオハザードRE:4』や『デッドスペース』がリリースされ、今後発売予定のソフトにも、『ファイナルファンタジー7リバース』や『ペルソナ3リロード』、『メタルギアソリッドΔ : スネークイーター』といった人気作のリメイクがまだまだ控えている。
上述した作品を見れば分かるかもしれないが、1990年代後半のゲームだけではなく、2000年代のゲームもリメイクされる流れが確実に来ている。
少し前までは、この世代のゲームはリマスターで十分といった声も大きかったように思うのだが、リリースから20年(!?)近く経っていることもあり、流石にシステムやグラフィックス的な面で厳しく感じられることも多く、リメイクを熱望する声が増えているのを強く感じる。アクティブプレイヤーのボリューム層に新陳代謝の流れが来ていると言えるのかもしれない。
ただ、当然かもしれないが、あらゆるリメイク作品が手放しで喜ばれているわけではない。近年の作品でそれが最も顕著に現れていたのが『ポケットモンスター ブリリアントダイヤモンド / シャイニングパール(以下BDSP)』だっただろう。
こちらは2006年にリリースされた『ダイヤモンド / パール(以下DP)』のリメイクで、前回のリメイク『オメガルビー / アルファサファイア』からそれなりに期間が空いていた(初代『赤 / 緑』のリブート作『Let's GO ! ピカチュウ / Let's GO ! イーブイ』も2018年にリリースされてはいたが、こちらは2回目のリメイク)ということもあり、ポケモン関連のイベントがある度にSNSで「ダイパリメイク」というワードがトレンドに何度も入るなど、多くのファンが「まだかまだか」と発表を待ち望んでいた。
あのPVが公開されるまでは……。
「あの頃の輝きを再び」というリメイクらしい胸を高鳴らせるフレーズの後に繰り出された映像に映し出されていたのは、3DS初期に先祖返りしたかのようにデフォルメされた2頭身のキャラクター、原作とほぼ同じトップビューの探索画面と、お世辞にもクオリティが高いとは言い難いバトル画面で、原作からほとんど変わってないし、見方によっては劣化していると大批判を浴びた。
酷く雑な言い方をすれば、焼き直しのような「変わらないリメイク」と捉える人が多かった、ということだ。
それに加えて、発売後にはバグが大量に発見されたことも火に油を注いだ形となり、これまでにゲームフリークが培ってきていた「ポケモンのリメイク作に対する信頼」が音を立てて崩れたように思えた。
しかし、『BDSP』とは対称的に、原作のテイストを強く残しながらも、ファンからの歓喜の声によって迎えられた作品もある。
その好例として挙げられるのが、6月21日のNintendo Directで発表された『スーパーマリオRPG(以下マリオRPG)』のリメイクだ。
本作のオリジナル版は1996年にスーパーファミコンでリリースされた、任天堂 × スクウェア(当時)のコラボレーションによって実現したRPGで、発売から30年近く経った2023年においても、未だに「名作」と語り継がれるほど根強い人気を誇る作品だ。
今回のPVで発表されたそのビジュアルイメージは現行機向けに3DCGで作り直されてはいるものの、原作のテイストを強く残したものとなっており、現段階で出ている情報を元に考えてみると(まだ発売すらされていないため断定はできないが)、この作品も「変わらないリメイク」だと言えそうだ。
だが、ダイレクト直後の『マリオRPG』に対するTwitterや5chなどでの反応を見ている限り、本作における「変わらなさ」は原作尊重として、とても好意的に迎えられているように見える。
だが、『マリオRPG』も(少なくとも現段階では)『BDSP』と同様に原作のテイストを色濃く残した作品であるにも関わらず、その「変わらない」ビジュアルイメージに対して、方や「焼き直し」、方や「原作尊重」と、どうしてファンからの受け取られ方に大きく差が生じてしまったのだろうか?
その理由については、大きく3つ考えられる。
①求められているものとの乖離
『BDSP』と『マリオRPG』という二つの作品の違いは、ユーザーが求めていたものと実際に出てきたものとの乖離の大小にあると思う。
確かに『BDSP』は原作の2Dドットによって表現された世界を壊さないように3DCGでそれを忠実に再現しようと試みているが、ユーザーが求めていたものは「ポケモンシリーズ従来のリメイク」だったのではないだろうか。
ご存じない方のために説明させていただくと、従来のポケモンのリメイク作は現行世代と同じシステム・ビジュアルを踏襲されて作られてきていたため、誰もが『DP』のリメイクは当時最新作だった『ソード / シールド(以下SS)』のようなフル3Dのマップをリアル頭身のキャラクターで歩き回れるものだと、多くのユーザーは勝手に期待を膨らませていたのだ。
つまり、『BDSP』のユーザー層が求めていたものは「忠実」ではなく「進歩」だったのではないだろうか?と僕は考えるが、この主張を補足するために、以下の動画をご覧いただきたい。
こちらは海外の有志によって制作された架空のトレーラーなのだが、8頭身で表現された人間キャラクターと、それに伴ってスケールアップを遂げたシンオウ地方の街並み、生息しているポケモンの生活感が感じられる森や洞窟など、見ているだけでワクワクさせられないだろうか?
ここまでは出来ずとも、せめて『SS』と同じようなビジュアルで表現された『DP』を遊んでみたかったという人は少なくないはずだ。
ここで僕が「せめて」と言うのは、『BDSP』の開発チームや任天堂の販売スケジュールにいかなる事情があったのだとしても、ポケモンの本家シリーズ最新作としてフルプライスで売り出す以上、前作『SS』よりスケールダウンしている作品をユーザーに提供することは、買い手の感情としては気持ち良くないし、これまで(多少の粗はあったとしても)安心して買うことのできたリメイクシリーズに対する信頼が揺らいだからだ(これがリマスターとしての発表だったら感じ方も違ったとは思うが)。
もちろん、現実的な問題として予算や納期、技術的課題などがあるのは百も承知で敢えて言うが、多くのユーザーが(少なくとも僕が)望んでいたのは、現行機で遊べる『DP』ではなく、現行基準で遊べる『BDSP』だったのだと思う。
では、『マリオRPG』の場合はどうだろうか。
オリジナルを忠実に再現した2頭身のチビキャラたちや全体的に表現が当時よりも底上げされたイベント演出などは『BDSP』と同じだ。
ここまでの流れで言えば、『マリオRPG』はユーザーが求めていたものとの乖離が小さかったから歓迎された、という風に言えそうだが、では、ユーザーは進化したリメイクを見たくなかったのか?と言われると、それも少し違うと思う。
というのも、『マリオRPG』はポケモンと違ってビジュアル的な進化を提示するのが難しい作品に見えるからだ。
3DCGで表現されたマリオの一般的なビジュアルイメージは2000年代前半の時点でおおよそ確立されているため、例えば最新作の『スーパーマリオ オデッセイ』と同じビジュアルでリメイクしても視覚的変化に乏しい上に、『マリオRPG』は『BDSP』と違って本作の他にビジュアルイメージ的なベンチマークとなる作品が殆ど無いに等しい。
もちろん、マリオのキャラクターや世界観を使ったRPGは本作以外にも『ペーパーマリオ』や『マリオ&ルイージRPG』がリリースされているが、そのどちらも世界観やゲームデザインが『マリオRPG』とは根本的に違いすぎて、これらの作品の文脈と本作のオリジナル版を接続させることは難しく感じる。
かといって、無闇矢鱈とオリジナルの表現を現代風に解釈すれば、元々持っていたゲームの雰囲気が失われてしまうため、映像を見た人に『マリオRPG』だと分かってもらいつつも綺麗になってリメイクされたのだと分かる映像表現として「落とし所」を攻めたのではないだろうか。
だとしたら、ユーザーが求めているものとの乖離が小さいのにも頷けそうだ。元も子もない話をすると、『BDSP』と『マリオRPG』ではそもそも3Dグラフィックの完成度に天と地ほどの差があるだけのような気もするが……。
②サプライズ度の差
二つ目に挙げたいのは、リメイクがリリースされることに対する驚きの差だ。
『BDSP』も『マリオRPG』のどちらも待ち望まれていたことは間違いないが、その「待ち望み方」には大きな違いがあったことは間違い無いだろう。
端的に言えば、『BDSP』は「リメイクされるのが当然のソフト」であるのに対し、『マリオRPG』は「いつかリメイクされてほしいソフト」だと言える。
この主張に疑問符を浮かべる方のために、両者の「リメイク」という言葉が持つ意味合いについて個人的見解を述べさせていただく。
まず、ポケットモンスター本家シリーズは、一定周期で過去作のリメイクをリリースしてきた歴史がある。
2004年にリリースされた『ファイアレッド / リーフグリーン』、
2009年にリリースされた『ハートゴールド ソウルシルバー』、
2014年にリリースされた『オメガルビー / アルファサファイア』、
という流れを見る限り、発売順を意識すると次に『 DP』のリメイクが次にリリースされること自体は、多くの人にとって予想はできていて、その上で「いつになったら発売されるのか?」を楽しみにしていたように思う。
以上が、『BDSP』を「リメイクされるのが当然のソフト」だとする理由だ。
次に、『マリオRPG』についてだが、そもそもマリオのシリーズ作品は過去作(関連作含め)をリメイクするということ自体が珍しい。
過去に『スーパーマリオコレクション』や『スーパーマリオ64 DS』といった作品をリリースしているし、それ以外にも『ルイージマンション』など何作かはリリースされているが、ポケモンのように毎作リメイクされているというわけではないし、そもそもリメイクされないことの方が多く、リメイクされることへのありがたみが違うのだ。
それに加えて、主な開発を手掛けたスクウェアと任天堂との関係性や、マリオブランドが今ほど確立されていなかったからこそできた表現を今の時代に出せるかといったいくつかの問題も抱えていたため、「難しいとは思うけどいつかリメイクされたらいいなぁ」程度の淡い期待として待ち望まれていたように思う。
以上が、『マリオRPG』を「いつかリメイクしてほしいソフト」だとする理由だ。
これらの「待ち望まれ方」に加え、『マリオRPG』はオリジナル版を遊ぶことのできた3DS / Wii UのVCが終了してしまった現在(2023年6月)、多くの人が遊べる環境に無かったため、せめてSwitch Onlineで移植版が来ないだろうかと思っていたところに、想像さえしなかったようなタイミングでリメイクが発表されたことも、サプライズ感を高めてくれたのではないだろうか。
③リメイクにかかる期待度の差
先述した内容とも少し被るところもあるが、『BDSP』(というよりポケモンのリメイク作と『マリオRPG』では、その期待度が全くといっていいほど違う。
セールス面から見ても、毎回1000万本近く売れるモンスタータイトルの一角である『DP』と、当時ミリオンヒットを果たしたものの、あくまでマリオの派生作品の一つに過ぎない『マリオRPG』では、そもそも作品が持っているポテンシャルに大きな差があるように思う。
さらに言えば、ポケモンは1~2年スパンで新作がリリースされているため、その進化の軌跡をユーザーが意識しやすいタイトルであるのに対して、『マリオRPG』は30年近く前に発売された単発のタイトルだ。
毎年アップデートを続け、多くの人から注目を浴びている長寿シリーズの本家作品と、単発のスピンオフ作品とでは背負っているものが違いすぎるだろう。
これは『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』にも言えることだが、長く続いているシリーズにもなると、作品ごとにファンがいたりすることは特別珍しくもない。
そんな中、特定ナンバーまでの作品は現行水準に合わせたフルリメイクだったのに、それ以降の作品はグラフィックを(進化したとは言い難いものに)差し替えただけで内容的に変化の無いリマスターのようなものになっていたら、後者を当てがわれたファンの心中は、とても穏やかではいられないだろう。
特にポケモンのリメイクは、ビジュアル的な進歩以外にも、オリジナルに無かった新要素の追加や新ポケモンや他作品との繋がりといった多くのものを求められる、ある意味で新作以上の期待を寄せられている作品であることは間違いなく、『BDSP』を目の当たりにした今、次にリメイクされるであろう『ブラック / ホワイト』のファンが複雑な心境だろうことは想像に難くない。
このような長寿シリーズ特有のリメイクに対する過剰な期待に曝されていないことも、『マリオRPG』が温かく迎えられた要因の一つと考えられそうだ。
まとめ
『BDSP』と『マリオRPG』の違い
①ユーザーが欲しているものとの乖離の大小
②サプライズ度の差
③リメイクに対する期待度の差
終わりに
ここまで、『BDSP』と『マリオRPG』という2つのタイトルにおける「ファンの反応の違い」にフォーカスを当てて僕の考えを述べてきた。
ただ、これはあくまで多くの人がなぜそう考えたのかについて僕が分析してみただけであって、見た人や遊んだ人それぞれで意見があっていいと思う。
僕が散々「温かく迎えられている」と述べた『マリオRPG』はあくまでPVが流れた現状における評価でしかなく、まだ発売すらされていないし、今とは全く違う評価を受ける作品になる可能性も十分にありえる。
また、本稿でかなり厳しく書いた『BDSP』も、個人的には楽しく遊べたし、その後リリースされた実験作『Pokémon LEGENDS アルセウス』は実質的なフルリメイク作品として、とても充実した体験を提供してくれた。
ポケモンのリメイク作品は今後「Let's GO !」と「Pokémon LEGENDS」方式でリリースされていってもおかしくないとも思えたし、ポケモンファンである前に1人のゲームファンとして、こういった変化を受け入れていくべきなのかもしれない。
冒頭でも述べた通り、今後も有名作が続々とリメイクされていくし、現行で遊んでいる最新作もいつかはリメイクされるかもしれない。
それらのリメイク作品が、新しくプレイする人にとっても、昔プレイしたことのある人にとっても実りのある時間を過ごせるような素晴らしいものであることを願って、本稿の結びとさせていただきたい。