【短文】フリーゲームの落日

 前回の記事を書いた後、記事の誤りや認識違いをチェックするためにいくつかインタビューやブログ記事を漁りました。相当な分量があるので、自作ゲームに興味があってお暇な方は以下の記事を読んでみてください。

 日向日影様、reminder_89様のnoteも拝読いたしました。10年代以降も20年代の現在も良質なフリーゲームがどんどん発表されてたんですね。私の認識が間違っていました。青鬼は名前だけ知っていましたが、10年代にフリーホラーがこんなに人気になっていたなんて知りませんでした。

 僕はNaGISAさんの「フリーゲームは自由だ」の記事を読んで、心が張り裂けそうになりました。フリーゲームについて考えると涙が出てきそうに感じます。
 プレイ人口20分の1、ゲーム本数10倍とは無茶苦茶な話です。名作が継続的に出ているにも関わらず、これが僕が「フリゲは衰退した」と誤解してしまった原因でしょう。実際にはフリゲ界は熱気が高いにも関わらず、それが外部に全く出てこない。フリーホラー作品の中で青鬼は知っていましたが、それ以外の作品は私は全く知りませんでした。インターネット的な知名度も皆無でしょう。

 でも8番出口はネットユーザーの多くが知っています。有料なのに。「フリーゲームは無料で遊べるから間口が広い」とフリゲ好きは皆言います。でも実際はSteamで売っているゲーム、例えばパワーウォッシュシミュレーターみたいなバカゲーがバンバン売れて、フリゲ作者が魂を込めて作ったゲームは無視されます。有料の方が無料より人気が出る矛盾。

こんな馬鹿な事があってええんか!

 なぜこんな事になってしまったのか。まず第一に、インターネットでお金を稼ぐ事が褒められる事になったからだろうと思います。ネットの活動で大金も稼いでいる=有名でエラい。ネットで1円も稼いでいない=作品の質も低いと判断される。こっちは好意で無料で遊ばせてやっているのに勝手に無価値な作品だと資本主義的に判断される。非常に恐ろしい事になっているのではないでしょうか。

 もう一つ、なぜフリゲが遊ばれないかについて、私は残酷な理由があると思います。それはツクールかウディタで作っているからでしょう。海外から"話題"の3Dインディーゲームがどんどん出てきて、GPUの性能も上がっている。その中でなぜツクール製ゲームをやらなくてはいけないのか。もちろんグラフィック面が2Dで劣るという事もありますが、美しいドット絵・イラストのツクールゲームも沢山あります。問題はゲームシステムがいっつも同じという事です。結局ツクールの戦闘システムが土台にあるから10作品もプレイしたらその内飽きる。ツクール・ウディタ製ゲームはこの問題を抱えています。ただ、私は10年代以降のフリゲをプレイしてしないので、この問題がまるで見当違いの意見で実際は解決されていたら謝ります。

 私の目には「フリゲは無料なので自由で尖った表現が出来る」というフリゲ作者様の主張は逃げに映りました。だって、ゴートシュミレーターとかニディガの方が尖ってるじゃないですか。むしろ10年代以降のフリゲは優しい世界のように見えます。
 頭が無茶苦茶良くてビジネスが得意な人はインディーゲームを作り、性格が良くてドット絵の美しい世界が好きな、人を傷つける表現を嫌う人はフリゲを作り、暴力的な表現が好きで野心家なドスケベは同人エロゲを作る。三者三様に良い点がありながら、フリゲ作者様だけお金が儲からない。結果、なすびあん様のように苦しんで苦しんで苦しみぬいてゲーム製作を断念される作者様が出てくる。それを思うと本当になんて残酷な世界なんだと思う。一番心が綺麗な奴が一番苦しむ。

 うーん。書籍の世界だと絵本や児童書って一大ジャンルじゃないですか。大人でも鑑賞に耐えるすばらしい絵本もいっぱいある。なので、やっぱ昔だとポポロクロイス物語とか、最近だと「RPGタイム!~ライトの伝説~」や「Sky 星を紡ぐ子どもたち」みたいに、絵本のようなゲームを売って子供たちにプレイしてもらうというのもアリかもしれませんねえ。技術力の壁を越えられれば、高潔な精神のまま飯を食う事も夢ではないかもしれません。