女子サッカー問題:同一労働同一賃金とアファーマティブ・アクション

最近、日本の女子サッカー・ワールドカップ(以下W杯)の放映権売買が成立しないこと、カナダの女子サッカー協会が財政破綻危機にあることなど、女子サッカー選手の報酬に関する議論が起こっている。日本では、女子選手サイドに批判的な意見が目に付くし、別にそれが間違えている訳ではないのだが、もう少し背景を考えてみたい。


同一労働同一賃金、男女平等

(ここの議論は鬱陶しいので、めんどくさければ「女子サッカー選手の年俸」に飛んでもらって構わない)

こうした問題の背景には、やはり男女、あるいはジェンダー間での平等というムーブメントがある*。この建前自体は御立派、というのは女子サッカーの場合と同様かと思うし、例えば正社員と派遣社員間の「差別」撤廃という問題だったら、賛同するという人も多いのではないだろうか。

*)女性問題と性的マイノリティの問題は割と近い部分が多いので、それは意識しておいた方が良いかもしれない。

ただ、それなりに経済に関する専門的な知識を持っている人間からすると、このレベルでもそんなに単純なものではない。正社員と派遣社員が、外部からすると一見「同一」な仕事をしているように見えたとしても、本当に「同一」なのかは相当難しい問題だ。ある瞬間だけとってみれば同じ仕事をしているように見えても、正社員は長期的な企業の人事プランに組み込まれており、若いうちから研修などを受け、同じ業務でも将来の管理職などのための経験として行わせている場合もある。正社員は退職金まで含めた定年までのトータル・パッケージとして賃金が設定されている訳で、それを1時点だけを見て、その業務をとにかくこなせばよい場合の派遣社員とは短期的に賃金が異なりうることは、むしろ当然だろう*。

*)ただ、派遣社員の正社員採用プランみたいなものもあるので、派遣社員の側の事情も必ずしも単純ではない。

同様の事は、男女の賃金「格差」についても言える。そもそも、男女の賃金格差と言われる場合、職種、経験年数、雇用形態などを考慮せず「女性は男性の賃金の7割しかもらっていない」などという言説がはびこっているのが現状だ。偏差値の高い大学を出て、将来の幹部候補として正社員として採用され、それを見越した研修などを受け、日本では転勤なども甘受し、残業などにも応じなければならない労働者と、そうでない労働者がたまたま1時点で同じ仕事をしていたとしても、同じ報酬になる訳がない。

きちんとした研究ならば、少なくともこういう観察可能な要素をコントロールした上で、男女間に本当に賃金格差があるかどうかをチェックする。ただ、現実には「学校歴」、つまり所謂大学の偏差値のようなものは観察できない場合が多いので、こうした詳細な分析にも限界はある。実際、東京大学を筆頭とするいわゆる「高学歴大学」で男子学生が圧倒的に多いこと、また、同じ大学内でも女性は文学部や生物学部など「金にならない・なりにくい」学部で女子比率が高くなることを考えると、こうした精密な研究の制限は現実にはかなり大きい。それでも、大企業などに限って可能な限りコントロールした分析の結果は、男女間の賃金格差は数%まで低下することが多いようだ*。

*)ただ、これも日本的な賃金構造、つまり若いうちの賃金が低めに抑えられ、中高年になって賃金が高くなることの結果かもしれない。

私は市場経済原理主義者ではないので、賃金数%の男女差別がある、という議論なら十分に受け入れられる。しかし、それが2桁になると流石に疑わしい。本当に女性がそれだけ差別されているのなら、同様の業種で積極的に女性社員を登用すれば賃金コストを10%程度低下させられる訳で、市場経済でそれだけの差が維持されると考えるのは無理があるように思われる。

また、男女の賃金格差には合理的差別、あるいは統計的差別というものがあることも抑えておかなければならない。もちろん、これも卵が先か、鶏が先かという問題もあるが、事実として女性の中途退職率が高ければ、女性労働者への企業と「本人」の投資が減り、女性労働者の賃金が低くなってしまう事はありえるだろう。

念のために書いておくと、これは、社会的に問題がない、と言っている訳ではない。あくまで、企業に差別する気持ちはない、あるいは少ないだろうと言っているに過ぎない。そもそも、女性の学校歴が低く、学部選択で経済的に不利なものを選ぶのは、家庭や社会に問題があるのかもしれない。また、政治的に夫婦がフルタイムで働きにくい労働環境が作られているという問題もあるだろう。ここで主張されているのは、あくまで市場経済において本当の差別を維持するのは困難だ、というだけである。

グダグダ書いたが、女子サッカー問題の背景の1つとして、「社会的平等」とかそういう問題が背景にあると思ってくれたら十分だと思う。


女子サッカー選手の年俸

ただ、1つ理解してほしい点がある。スポーツ選手のような高収入な仕事だったら、「普通の人」とは事情が違うのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、女子サッカー選手の大半は、「普通の人」と大差ない収入しか得ていないとう問題だ。特に、スポーツ選手が短命であることを考えたら、むしろ貧困問題であるとすらいえる。

そして、それが女子サッカーのW杯代表選手レベルでもそれに近い問題があるということなら、やはり「社会一般への影響」を考えて、女子選手の待遇を改善すべきだ、という一般論なら受け入れられる余地はあるのではないかと思う。


アファーマティブ・アクション

それでは、上記のような議論を受けて、「一般社会への影響力」を考えた上で女子選手の待遇を改善させるべきだ、という議論はどう思われるだろうか。

これは、永遠の議論だとしか言えない。賛同する人もいれば、反対する人もいる。私は、アファーマティブ・アクションの選択が恣意的になることや、それが必ずしも望ましい結果を生まないことから、賛成していない。例えば、アメリカの大学では学生や教員の選択に黒人を優遇してきたが、このお陰で黒人(特に男性)の一般的な地位が改善してはいない。むしろ、大学教員では能力の低い黒人教授が採用されるため、その他の人種、特にアジア系が損している。日本の大学でも女性教員を無理やり政策的に増やそうとしているが、そのために業績に劣る女性教員が増え、研究・教育水準が低下している。

世間の人は大学教員のことなど大体どうでもよい。ただ、学生の受験となった途端に目の色が変わる。九州大学では数学系の女性研究者が少ないため、数学系の女子学生の採用を緩くする方針を提示したが、社会的な反発のために頓挫してしまった。

アメリカでは黒人が優遇されていると書いたが、最近、保守化する最高裁が違憲判決を出したばかりだ。

こんなことを言いつつ、私もスポーツの世界だけは、プロで1部である程度やった選手は一生食べていけるぐらいのお金を貰っても良いのではないかと思ったりする。また、オリンピックに出場した人にも同様の感想を抱く。ただ、これも単純に自分がサッカー、あるいはスポーツ一般に甘いというだけで、まさに「恣意的」にそう思っている、ということに過ぎない。スポーツに興味がない人からしたら、こいつは何を言ってるんだろうと思われるだろうな、と思う。


結論:アファーマティブ・アクションへの賛否が本質

結論を述べると、アファーマティブ・アクションへの賛否が議論の本質だ、ということだと思う。そして、この問題に正解がない以上、誰が正しいとかいうこともないと思う。女子選手への優遇を主張する人も、それを否定する人も、どちらも一理ある。

ただ、問題の本質がアファーマティブ・アクションだということだけは、認識しておいた方が良いと思う。それを理解せずに、賛成派が自分たちは無条件に正しいと主張するのもおかしいし、反対派が市場原理などを持ち出すのも本質をはき違えているとしか思えない。


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