逆プロ倫:中世宗教権威と近代の世俗化

「逆プロ倫」というタイトルは唯の冗談です。

基本的な主張は、社会の近代化には「世俗化」、つまり広く言えば宗教の社会的影響力が「かなり」「ある程度」低下してもらわないと困るというものです。近代化の必要条件である初等・中等教育はこれらの必要条件、ひょっとしたら十分条件に近いかもしれませんが、そもそも宗教が教育に絡んでくると厄介です。

所謂西洋諸国は近代化に成功し、日本など東アジアの国も後を追いました。西欧は新旧キリスト教の影響下にありましたが、特に旧教側は教会自体が「アンシャン・レジーム」の一部として影響力を削がれることとになりました。新教は教義は色々あっても、現世への介入は比較的少ない。

日本など東アジア諸国は、そもそも宗教の影響力が弱いのが特徴です。そもそも中国みたいな偉大な文明が、インドのヒンズー教、中東・西欧のユダヤ教・キリスト教・イスラム教の様な「立派な」宗教を生み出さなかったのがそもそも歴史上のミステリーです。間歇的に王朝交代期に道教みたいなのが影響力を持ったこともありましたが、儒教とかは制約が緩い。そこに、適当に改変したヒンズー教の一種である仏教を大乗に変換しながら導入しました。

日本はさらにそれを固有の神道、というよりも土着のアニミズムと融合させて最終的に「葬式仏教」に仕上げてしまった。強いて言うなら「天皇制」系の神道がありましたが、そんな後付けのモノでは西欧近代化という至上命題の前では神棚程度のスペースしか与えられなかった。戦国時代には一向一揆やキリスト教の侵入など本格的な宗教の影響力が強まる可能性もありましたが、江戸時代の鎖国と、島原の乱などのキリスト教抑圧で、その可能性は閉ざされました。

現代、近代化を成し遂げていない国の条件として思いつくのは「イスラム教」です。ユダヤ教・キリスト教系統の一神教として完成度の高い教義を持ち、厳しい自然条件で布教した影響で生活の隅々まで厳しく縛っている。しかも、その宗教的権威を補強する制度もしっかり揃っている。キリスト教の新旧対決の様にスンニ派とシーア派の派閥争いはあるが、それが地域や国によって大体棲み分けられていて、少なくとも国内でのもめごとの種にあまりなってない。そもそも、イスラム教は他の宗教に寛容という上手いシステムも持っている。

もちろん、現代の「世俗化」は強力なので、イスラム教が強いと言っても何でも抑圧できるわけでもない。イスラム教国でもトルコやマレーシアはそこそこ発展していて、「世俗化して近代化したイスラム教国」になる可能性は十分残されている。ただ、トルコでは近年明らかな反動傾向がみられます。まあ、直近の選挙でエルドワンは負けましたが…

最大のポイントは、女性への教育でしょう。子供の学習達成において母親の教育水準が重要なことは近代社会の基本的な方程式の1つで、その女性教育を抑圧した中で、どれだけ近代化をスムーズに進められるのか…宗教にしても何にしても、古臭い考え方は女性蔑視がつきものですが、イスラム教はちょっとそれが極端です。

そういう意味では、トルコとかマレーシアの教育とか女性が今後の注目ポイントになりそうです。

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