日本の教育はこのように変わってきた!
2008年の小学校学習要領の改定により、
小学5・6年生に週1時間、『外国語の時間』が導入された。
ちなみにその前の2000年の改定では『総合的な学習の時間』が導入された。
グローバル化がすすみ、知識基盤社会といわれる現代社会において求められる資質や能力はなにか。
これらの新しいカリキュラムは、このような課題に応えようとして導入されたものである。
一方で、グローバル化の進展により、PISAという新しいタイプの国際学力テストが2000年から始まった。
このテストの結果から日本は読解力が相対的に劣っているとされ、
学力低下論争が巻き起こった。
そして2007年からは、約50年ぶりに文部科学省によって全国学力テストも実施されている。
これに対して2002年から全面実施されたばかりの総合的な学習の時間は、
いわゆる『ゆとり教育』の象徴として批判の的となり、2008年の学習指導要領改定では時間数が大幅に削減された。
このように社会変化のなかで教育の内容はめまぐるしく変化している。
現在は、矢継ぎ早に教育改革が進む時代である。
しかし、改革は国や自治体が描いたとおりには進まない。
さまざまな改革案は実際にどのようなカタチで実施され、
そしてそれは教師や生徒に対してどのような影響をもたらしているのか。
誰もが学校に行き、さまざまな職業やその他の進路に進んでいく。
しかし、
それぞれの子どもの教育経験やその後の進路選択は家庭背景が強い影響力をもっている。
たとえば、大企業のサラリーマン家庭と、母親がひとりで家計を支えながら子育てしている家庭では年収も子育てにかけられる時間もエネルギーもちがう。
そしてどの高校に進むかで、最終的な学歴や職業が大きく左右されることとなる。
このようにして、結果的に大企業のサラリーマン家庭の子どもはより高い学歴を得て、
より有利に就職戦線に参入する傾向がある。
これに対して単親で低所得の家庭の子どもにはしばしば厳しい現実が待っている。
こうして親から子へと世代間で不平等が継承されているのが今の社会の現実である。
教育を研究する上では、こうした社会の不平等なしくみやその継承過程に目を向けて、学校教育がそのなかで果たしている機能に強い関心を持ってきた。
また、
学校を卒業しても定職に就けないでいるなどの、教育と労働市場の接続関係の問題にも関心を持ちたい。
教育というものを研究する上では、学校内部にも光をあてていきたい。
学校そのものがひとつの小さな社会であり、
なおかつそれは一定の目的を持つ組織でもある。
このような学校の中で、教師と生徒の関係はどのようになっているのか。
その関係は生徒の性別によってどのように異なるのか。
また外国人の子どもや障害をもつ子どもは、学校にどのように受け入れられ、
そこでどのように過ごしているのか。
教師にとっても学校はひとつの社会である。
近年、教師に期待される役割はますます多岐にわたるようになっているが、
一方では多くの教師が強いストレスを抱えて、
燃え尽きてしまうという問題が指摘されている。
教育を分析していくには、学校組織のあり方やその内部のミクロな人間関係にも強い関心を持っていかなければならない。
さらに日本の教育界は、子どもや若者などの年少者の意識や行動に関して、いろいろな調査研究を行ってきた。
なかでもいじめや校内暴力、万引き、さらには飲酒や薬物、自殺など、学校内外で子どもたちが起こす問題に光を当ててきた。
一方で、成人後にさまざまな教育機会に触れて学び続ける生涯学習の領域にも関心を寄せている。
学校教育や子どもの問題についてはさまざまな用語が用いられてきたが、
その言葉自体も時代とともに変化している。
たとえば、長期間学校に行かない子どもは、
いまは『不登校』と呼ばれることが多い。
しかし、戦後すぐは『長期欠席』として問題にされ、
その後は『登校拒否』と呼ばれることが多かった。
教育の問題を語る言葉それ自体が社会の中で生成されてきたものなのである。
このように教育と社会は切っても切り離せないほど強く結びついている。
日本の教育界がカバーするテーマは多種多様であるが、
いずれも社会とのかかわりの中で教育という現象をとらえようとする点に特徴がある。