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もしかしたら私達にはスティーブ・ジョブズ並の才能があるのかもしれない(映画『型破りな教室』の感想)

先日のこと。ふと妻に聞いてみた。

「夢って、なんかあったりする?」

すると「保育」に関心のある彼女から、こんな答えがかえってきた。

いずれはどこかの田舎で、子どもが「のびのびと生きる力」を育める居場所を作りたいんだよね。それでもしできるなら、生まれた利益は、携わる保育士さんに還元していきたい。子育ての分野で働く人が、報われる社会にしたいんだ。

私は、おったまげた。

「そんな事考えてたのっ!?」

こんなにもいつも近くにいるのに、そんな夢を持っているなんて、私は知らなかった。

妻の夢に、胸がアツくなった。

それと同時に、ふと思った。

「もしかして、こういう人っていっぱいいるのかな?」

みんな口には出さないけれど、心のなかで、ものすごく共感をする夢や想いをたくさん持っているんじゃないかな___

もしそれが言葉になったなら。
もしそれが実現したならば。
もし一人ひとりの才能が花開いたならば。

社会はどれだけ良くなることだろう?
世界はどれだけ明るいものになるだろう?

そんな可能性を持つ才能が、
もしかしたらたくさん埋もれているんじゃないかな___

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さて先日、とある映画を観た。

「型破りな教室」

メキシコで学力最底辺だったクラスが、新任教師フアレスによる「型破りな授業」で、全国トップの成績を叩き出す、という物語だ。

めちゃくちゃ心を動かされた。
ここ最近で、マイ・ベスト映画だと思う。

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主人公は、小学校の新任教師・フアレス。

あるとき彼が、校長に尋ねた。

「あのパロマという女の子は、どんな子なんです?」

校長はこういった。

「ただ引っ込み思案で、おとなしい女の子だよ。」

パロマという女の子。
のちに国内最高の数学得点を叩き出し、雑誌でも「次のスティーブ・ジョブズ」と謳われた女の子である。

そんな輝く才能を持っているにもかかわらず、彼女は「ただの引っ込み思案」との評価しかされなかった。

私が妻の夢に気付けなかったように、誰もパロマの才能に気づかなかったのである。フアレスがいなければ、彼女の才能は埋もれたままであっただろう。

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舞台はメキシコのマタモロス。麻薬と殺人が日常化した街にある小学校だ。

親は、子どもに無駄に希望を持たせないよう、「夢なんか持つな!」と言う。学校の先生は、自分の立場や評価だけを考え、子どもをギチギチに統制する。

子どもたちには、意欲がない。主体性もない。夢もない。
当然だ。
こんなところで、未来に希望を持つほうが無理な話だと思った。

そんな小学校に、新任教師のフアレスは赴任した。

フアレスの授業は、とにかく面白くて、ユニークだ。

「なぜ船は浮いたり、沈んだりする?」
「分からなければ、どうやって調べる?」
「何を学びたい?自分たちで考えてみて!」

とにかくなんでもかんでも、子どもたちに考えさせる。
子どもたちも戸惑いを隠せない。
これまで散々押さえつけられてきた。なのにいきなり「自分たちで決めるんだ!」と言われても、できっこない。

それでもフアレスは、あきらめずに伝え続ける。

「自分を埋もれさせてはいけない」
「間違っても挑戦するんだ!君たちで考えるんだ!」
「必要なものは、君たちが一人ひとりがもう持ってる。それは『可能性』だ。」

フアレスの熱量にあてられて、子どもたちが変わりはじめる。

探求の喜び、発見する楽しさ、柔軟な発想。
好奇心が芽生え始め、目がキラキラ輝き出す。

子どもたちの天性の才能が、芽吹き始める瞬間。
物事の仕組みを理解するたびに、飛び跳ねてよろこぶ子どもたち。

その姿が、あまりにも美しくて、尊くて。
スクリーンを見つめる私のほほを、自然と涙がつたった。

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けれども、現実は残酷だ。
冷酷な事実を私たちに突きつける。

腐敗した権力組織、親からのネグレクト、抜けられない暴力的関係。

学校に行きたくてもいけない。
暴力的組織とのつながりを断てない。
夢を追い求めることが、どうしてもできない。

芽吹き始めた子どもたちの可能性が、踏みにじられる。
ツラかった。
子どものせっかく花開きそうな蕾が、ぐしゃっと握りつぶされるのが、悔しくて、悲しくて、切ない。
腐敗した社会や環境に「くそったれっ!」と言いたい気持ちに、正直駆られた。

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同時に、胸がしゅんとなった。

「どうせ叶わぬ夢なのであれば、夢を持つことは、意味なんてないのかな……?」

希望に満ちた心がしおれそうになる。

そう思っていたとき、スクリーン上のパロマが、こんなことを言ったのだ。

「現実は変わらない。けれども私は、先生から学ぶまで、こんな未来を思い描くことはできななかった。自分にこんなに可能性があるって、信じることができなかった。いまは未来を思い描くことができる。この気持ちは、私の宝物なんだと思う」

ハッとさせられた。本当にそうだと思った。

実は私は、過去にメンタルの調子を崩し、休職したことがある。
そのときは、自己嫌悪ばかりで、のぞむ未来なんて想像すらできなかった。
けれども今は、だいぶん変わったなぁと思う。自分にだって可能性があるよねって思えるし、自分の手で未来を作っていけると思える。

映画の終盤。悲しいかな、みんながみんな、シンデレラストーリーを歩むわけではない。家庭の事情で、学校に行けなくなった子だっている。
けれども、子どもたちの表情には、どこか「生きる強さ」が垣間見えた気がした。

可能性を信じること。
それは生きる希望なのだと。
それは生きるチカラなのだと、私は思った。

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さて急に、私事のはなし。

私には5歳の息子がいる。マリオのゲーム実況のYouTubeが大好きだ。時々、自分で、(空想の)ゲーム実況を真似したりしている。

「子どもって、こういうの好きなのね~」と単に眺めていたけど、映画を観た後、ふと思った。

「もしかしたら、この遊びのなかにも、可能性や才能が隠れていたりするのかな……?」

これを機に、(私もゲームが好きなのでw)親子で一緒に、ゲーム実況のYouTuberでも始めてみるかな、とふと思った。

「さあ、どうすればゲーム実況のYouTuberになれる?」

フアレスの声が、はっと聞こえた気がした。
なんだかワクワクした気持ちが、胸に湧いてきた。

きっと可能性や才能は、見えてないだけで、一人ひとりのなかにものすごくたくさん眠っているのだと思う。
息子にもある。もちろん保育の夢をもつ妻にも。そして、私にだってきっと。
好奇心を大切に。目をキラキラ輝かせながらこれからを生きていきたいな、とそう思った。


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