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【徒然20241202】「どうせ自分なんて...」が自己受容の始まりになった
こんなポストをしました。
「自分の努力では状況を変えられない」という感覚が持続してしまう「学習性無力感」は、失敗や挫折の多い発達障害の人が陥りがちではないでしょうか。…
— 小鳥遊@発達障害×タスク管理 (@nasiken) November 30, 2024
「自分の努力では状況を変えられない」という感覚が持続してしまう「学習性無力感」は、失敗や挫折の多い発達障害の人が陥りがちではないでしょうか。
私自身、2社連続して同じような経緯で休職を余儀なくされ、「どんなに頑張っても失敗する」「自分はどうせうまくいかない」と思い込むようになっていました。
ただ、今振り返ると、これは自己受容の始まりだったように思います。
自分の力ではどうにもならないことをあきらめる。それを受け入れられたことで、ADHDである自分自身も受け入れられました。
また、学習性無力感が今でも私の性格の「下地」となり、仕事でも役立っているのに気が付きました。
例えば、目標を設定するとき、私は「SMARTの法則」の「具体的(Specific)」「達成可能(Achievable)」に自然と意識が向くようになりました。
「売上を1.5倍にしよう」といった漠然とした目標ではなく、「得意先への訪問頻度を週2回から4回に増やす」といった具体的な行動目標に落とし込む。
こういった思考ができると、地に足のついた計画が立てられ、より達成しやすいタスクが設定できるのです。
そこに必要なのは、決して自信たっぷりの万能感ではなく学習性無力感的な姿勢だと考えています。
学習性無力感に埋まっているであろうある種の「謙虚さ」「現実検討能力」。これに目を向けると、新たな希望や可能性を見つけるきっかけになるかもしれません。
このポスト、自分としてはとても反響いただけるんじゃないかと思って「ポストする」ボタンを押したのですが、予想外に反応がありませんでした。
もしかしたら、「学習性無力感って、そんな甘いものじゃない」という方が多いのではないか、というのが私の考えです。謙虚さとか現実検討能力とかどころではなく、もう本当に動けなくなるとか、そういうレベルなんだからとてもこんな前向きになれない、といった感じです。
そういった方々には、ただただ「そうですよね」としか言えないと思っています。ましてや、「自分がこうだったから、あなたもこうできるよ/こう考えようよ」といった押し付けにはしたくありません。
ただ、私の実感としては、自己受容(障害受容)して、その結果地に足がついてタスク管理を始めることができた経緯は、まさにこれだったんです。
今学習性無力感になっている方が、「この感覚は無駄でしかない」と思っていて、これを読むことで「もしかしたら、これが後々役立つのかもしれない」と、自分との向き合い方を考えるきっかけになれば嬉しいです。
なお、SMARTの法則は、別に発達障害の人のためのものではありません。広く一般的に参考になるものです。ということは、これがなかなかうまくできていない人が世の中のかなりの部分を占めていると言えます。
たとえば、自分の障害による困り感から発していたとしても、最終的にSMARTの法則を実践できたら、それは素晴らしいことになると思います。関係性だけで考えたら、障害があった→SMARTを実践できた、ということになります。
「障害を強みにする」という言葉がありますが、「障害を持つことで強みを開発する」という戦術もあると私は思っています。
そんな話を、この本で書いています。よろしければご覧ください。