子どもを可愛いと思えない。
(お読みになる中で不快になられる方もいらっしゃると思います。それを書き記しておきます。)
昨日、イ○ンへ行った。
正確にはなかなかな規模のイ○ンモールだ。
「キーッ!キーッ!」
キャーより1オクターブ高い甲高い声を上げながらファミリーが私の近くを歩いている。
親は注意しない。
私の中では「私は騒げは怒鳴られた。人様の前で子どもであれ騒ぐべきではない」と刷り込まれてしまっているため、イライラする。
と、言うより虐待の末身についた聴覚過敏のせいで聴いているのが辛い。
このボリューム…
甲高さ…
止まることのない間髪のなさ…
私は初めて手で耳をふさいだ。
耳栓はしていたのだけど、役には立っていなかった。
罪悪感はなかった。
私には辛い音。
だから、耳を塞ぐ。
それだけだ。
私が15歳くらいまでは妹がいたせいか、よく幼子の面倒を見た。
正直、自分で言うのも何だけど優しくてよく遊んでくれるいいお姉ちゃんだったと思う。
だけど、成人した頃から急に子どもが怖くなった。
可愛いと感じなくなった。
それは、自分に「子どもとして可愛がられたことがない」ことがなんとなく分かり始めたからだろう。
パート先で新生児を無理やり見せられた。
顔がひきつった。
「キャーッ!!
やめて!近づけないで!
カブトムシの幼虫!!」
それが本心だった。
カブトムシの幼虫と赤ん坊が同じに見える目を私は持っている。
違いがわからないのだ。
ブクブクして節だらけで顔がデカくて、フンばかりしていてる。
針でつつけばパツンと弾けて身がひっくり返って、私の服が汚物まみれになりそう。
でも、そう思っても仕方がない扱いを私は受けてきたんだ。
虐待とはそういうものだ。
私は生き抜いた。
生き抜いたかわりに、小さき者への愛を失った。
本当に可愛く感じないのだ。
発達障害抜きに単に虐待されていたゆえに身についた感覚過敏や虐待を生き抜いたゆえの麻痺などで可愛いと感じなくなったのだ。
それは誰から咎められることでもない。
私は精神疾患を抱えるオヤたちから発達障害を遺伝した。
おそらく、私が子を設けたら遺伝するだろう。
だから、産まない。
産んでくれと過去に何度か男性から言われた。
全て断った。
別の病名を付けられていた頃だけど、その病名も遺伝性の精神疾患だった。
勇気がいる。
子どもが好きではないということは。
まして、カミングアウトすることは。
まだまだ、女性は子供好きという偏見がある。
女性はスウィーツが好き。
(いや、甘いもの苦手な方もいる)
女性はテーマパークが好き。
(いや、苦手な人もいる)
女性は子供好き。
(いや、嫌いな人もいる)
多様性。
そんな言葉、なくったっていろんな過去を持つ人はいるよ。