春祭りで感じた苛立ち。
いま、どこの地方でも小さなお祭りが行われるようなシーズンではなかろうか。
今日、私の住む地域でも祭があったが、少しだけ見に行ってすぐ後悔した。
地べたに腰を下ろしボーッとジュースを飲む子供。
子供と言っても12〜13歳だろう。
人々が道を通るのに邪魔になっているがジュースに夢中なのか動く気配もない。
子供を近くのドラストのトイレにいかせようと順番待ちをする厚塗り化粧の母親。
これまた道を塞いでいるが動かない。
不思議なくらい人は周りを見ていない。
苛立ちが私の中にあった。
なぜ?
見えてないの?
それはただ、私が普段から人の邪魔にならないように気を配っているから苛立つのだ。
トムソンガゼル並の視野の広さで人の動きを感知し、自分がスっと避けているからだ。
じゃあ、人のために道を譲るのをやめたら苛立ちは収まるのか。
そうではない。
私は譲りたいから譲っている。
これは事実だ。
私の中で「正しい行い」として認識しているから。
それでいて、自分の関心のあることにしか意識がいかない人に苛立つ。
それも事実。
ただ、苛立っても、
「アンタ、邪魔になってるじゃない!!」
なんて言葉を荒げず、もし通るのなら、
「後ろ、失礼いたします〜」
と声掛けして通る自分は誰も傷つけずうまくやっていると思う。
ただ、しばらくは賑やかなところは遠慮しようと思った。
腰が肉離れを起こした(泣き笑い)。
ホントは嫌だったんだね、私。
人混みが苦痛で過緊張を起こしたようで。
春祭りで得たものは苛立ちと肉離れ。
嫌いだということがわかって良かった。