ブランド主義の行方。
私は34歳のときに11歳で折った手の骨の手術を受けている。
子どもが
「痛いよ〜」
と泣くことが許されなかった家庭だったからだ。
その手術を受ける際、チチ方の祖母に
「手の手術を受けるんです。
その後リハビリします」
と電話した。
祖母の答えは、
「執刀医はどこの医大を首席で出てるんだい?!
手なんか失敗されたらお前さんは人間扱いされなくなるよ!」
…。
頑張ってね、でもなく、
リハビリはどのくらいの期間なの?でもなく、
ソコか。
相変わらずだなと思った。
そもそも、あなたは私を人間扱いしていないでしょう。
彼氏ができれば、
「どこの大学を出たどこの企業の社員だい?
車は何に乗っとる?!」
…。
優しい人かい?でもなく、
そりゃよかった、でもなく。
だいたい、私、ハハにむりやり高校中退させられたから中卒だよ?
15で大検とって、進学はしたけど、当時はすっかり対人恐怖MAX状態。
講議場に入れないわ、気絶するわで卒業は叶わなかった。
私の両親は国立大学卒と国立大学院卒だ。
だが、アルコール依存だし、暴力暴言が酷いし、「虐待親」認定を警察にも医者にもされている凶暴な人物たちである。
私は学歴や勤め先や乗ってる車の車種なんかで「人柄」はわからないと思うんだよね。
高学歴犯罪者を目の前で見てきてるから。
(虐待は犯罪です。傷害罪です)
どんなに学歴があっても、
どんなに有名な企業に入社しても、
どんなに高級な車に乗っていても。
コンビニでお買い物するときに、レジ打ちしてくれたひとにサラッと「ありがと〜」って言えるひとには敵わないよ。
私の持論だけどね。
正直、自分の血筋のブランド主義にうんざりしていたのだ。
…くだらないことを。
…しょーもな。
そんなことを私に思われていたとは祖母は知るまい。
しかしなんだかんだ、自分の孫を落胆させ、二人も失ったのだ。
もちろんもう一人は私の妹だ。
ブランド主義が高じて孫を失った祖母はもう生きていないかもしれない。
存命なら90はとうに超えている。
心配事や関心事に「心」がなかった。
そんな血筋だったからこそ私は潔く一族から縁を切れたのかもしれない。
「心」とともに「情」もなかったから。
海を眺めながら夕飯のイワシの丸干しにかぶりつき、ご飯をかきこみ、お味噌汁をすする。
後悔は微塵もない。