恐い人の考察①
恐い人のことなんて考えるだけ時間のムダだけど、腑に落ちるまで突き詰めれば「哀れみ」や「蔑み」に変わることもある。
…ので、考察大会やってみるみる。
私が引っ越してきてから色々とお世話になったご近所さん夫婦。
ここではA夫妻としよう。
最近は私は彼らに違和感を覚え、距離をとっている。
とても親切だが、ちょっと相手に踏み込みすぎるところがあり、また彼らの本心が見えた瞬間に「ゾッ」とするときがある。
A夫妻は近所の精神障害を抱えた若者を知り尽くしている。
ドライブをしながら
「ルック!
シーイズ ハンデキャップ」
「Oh、リアリィ
かわいそうネ」
(ハズバンドは外国人である)
障害を持つ人をピックアップしている。
近くに住んでいれば、親切な人として近づきあれやこれや世話を焼くのだが…
個人的には障害を持つ人に「ハンデキャップ」「ハンデキャップ」言うのはどうかと思うのだが…。
障害を持つ私にとっても、「障害者さん」と呼ばれることがとても辛いように、他の障害を持つ方にとっても心地は良くないだろう。
そして、そういった人の世話を焼きながらも私をお茶に誘い、
「3軒向かいに住んでるうつ病の子はね、ケーキ作りがすごく上手なんだけど、すっごい太ってるの!もうこ〜んなん!!」
「ウゴカナイカラ、フトッテルカ?
イエノナカバカリ」
愚痴…と言うか悪口を言うのだ。
「あのね、二人とも。
うつ病の治療に使う薬の中には副作用で凄く太るものもあるの。
日中に眠気が出る薬もある。
家の中でクッキングしてリハビリをしているんだと思うよ、その子。
頑張っている人に、とても失礼」
「薬であんなにデブになるか〜?」
「私は30歳まで80キロあったよ?
薬の副作用で」
「嘘〜!!
怠け者だから太ってるんだと思ってた!」
…自分は他所で何と言われているのだろう?
他の子も「わがまま」「幼稚」などと形容され、私はこの人たちはなぜ障害のある人に近づき、世話を焼き、愚痴を言うのか考えるようになった。
「…ぽぽちゃんのお世話でもしている気分なのかな?」
「じゃあ私は彼らにとって人形か?」
(ぽぽちゃん=女児向けのお世話体験人形)
A夫妻いわく、
「私たちはソーシャルワークをしているの。
娘が海外でソーシャルワークのアルバイトをしていてね〜」
…ソーシャルワーカーの気分になりたかったのか。
ストンと落ちた。
実際は宿泊施設経営者とスーパーのアルバイト夫妻なんだけど…。
ただ、裏では何を思っているかわからないというのは誰しも共通だから仕方ないとして、「親切な人」として接触してきて裏で「デブだ」「幼稚だ」と言っているのは…ちょっと。
元来、精神障害を患って治療中ならば肥満である可能性は高いものだし、障害の種類によっては実年齢に反して非常に幼いことも珍しくない。
そこを知らずに「ソーシャルワークなの♡」と首を突っ込みまくる姿に、私はだんだんと恐怖心を抱くようになった。
知識なく首を突っ込む姿がもはや痛ましく感じたし、首を突っ込まれた側の痛みも想像できた。
遂には私の治療方針や医者の探し方にまで口出しをするようになり、万策尽き私が生活保護になる際には散々羨ましがられた(おいおい💧)。
私を贅沢だ贅沢だと「贅沢者扱い」し、医者がいなくては何にもできない「軟弱者扱い」をはじめた。
遂に私は自分を守るために彼らの連絡に答えなくなった。
彼らが障害者を自己肯定の道具にしているように見えてきた。
そうなると、ありがたみどころか逆に怒りさえ湧くし、それを通り越せば哀れにも感じられた。
日焼けをするように私に強要したり、自分たちの美意識を押し付けてくるのも辟易していた。
恩はある。
それには感謝する。
だが、それ以外の「彼らの自己満足のためのお人形役」は降りさせていただきたかった。
もう、次のターゲットは見つけてあるようなので私は降りた。
恐い人の考察①でした。