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《毒親と冬の思い出》イノシシの豚汁。

みなさん、イノシシのお肉って見たことありますか?
最近、あちこちでイノシシが出て困りますってテレビでやっているけど…。
私にとってイノシシはちょっと複雑な思い出のある生き物です。


私が成人して間もない頃、私は母と妹の暴力から逃れるために精神科の病棟に入院させてもらっていました。
母が面会に来ると病棟が騒ぎになるので、なかなか恥ずかしい思いをしたものです。


それでも、シェルターとして病棟を使い続けるわけにもいきませんでしたから、当時の主治医から『一時帰宅』と銘打たれ、『帰る覚悟を決める練習』が始まりました。


そんな一時帰宅は、いまより冬に近い寒い日でした。




私が玄関ドアをくぐった途端、母は言いました。

『アンタ、これをアタシらに料理しな!』

妹はこたつに入ってぐったりしていました。

これ?


母は冷蔵庫の下の方から真っ赤な塊を取り出しました。

真っ赤というより赤黒い何か。



「これは何なの…?」
『イノシシだよ。
アンタ、これを食えるようにしな』

…そうか、硬くて上手に料理できないから私を待っていたのだな😥
(両手でやっと持ち上がる大きさでしたから2キロはあったかと思います。)

母はあまり運転が上手くはなかったため❛❛いつもの鈑金屋さん❜❜がいたのです。

その鈑金屋さんが狩猟もやるものだから、イノシシをもらったそうでして。
しかし、母と妹はけっこう他力本願なところがあるため私の一時帰宅を待ち構えていたわけです。

かくして、私は精神科病棟からの一時帰宅でイノシシを調理することになりました。

ありがたいことに毛皮ははいであったため、お肉にへばりついた硬い毛を摘み取るだけで済みました。


私はイノシシの肉を削ぎ切りにして、野菜とともに煮ました。
味噌仕立てにして、イノシシの臭みをごまかした。
言うなれば、イノシシの豚汁ができました。



最初は
『なんで私がこんな労力を使わなくてはならないのか』
と、腹立たしく思いました。
しかし、ひと口食べると…
……イノシシ、うまいなぁ😋


この当時は貧しさマックスの時期で、一日一杯のわかめスープしか食べられなかった頃なので、お肉がありがたかった…。

もちろん、いま食べても美味しいはずです。
豚肉に比べると随分硬いお肉でしたが、繊維を断ち切るように削ぎ切りにしたので、噛むのには苦労しませんでした。
何というか外国産の豚肉の臭みをもっとキツくしたような臭いはしましたけどね、やっぱり(笑)。
出汁をきかせた汁に、根菜。
赤味噌仕立て。
ワイルドだけど非常に美味でした。
書いて字の如く、『野生の汁もの』でしたね。
いや〜、美味かった。


同じ室内に笑顔を忘れた蝋人形のような女性二人がいたのは怖かったけれど、何だかんだ私はそのイノシシをほとんど食べてしまったのです。
あの二人はひとに作らせた割に『硬い』だのなんだの文句を言っていました。
(そのくせちゃっかり食べるんだもん、私にもだけど鈑金屋さんにもイノシシさんにも失礼だよ!!)



イノシシでも何でも食べ物をいただくということは有り難いことなんです。


精神科の病棟では色んな人がいることを知りました。

帰宅しても私の家は特殊でした。



不快な気持ち、悲しい気持ち、やり場のない怒り、そして襲い来る『虚しさの津波』。

いまではだいぶ楽になりましたが、この波はうまく乗りこなせないときがまだあります。



ただ、ただ信じていいと感じるのは、
『入院中の一時帰宅で家族にイノシシ捌かされた私が弱いワケねェじゃん(笑)。』

という変な自信。



いまではあのときアパートの冷蔵庫にイノシシが入っていてよかったとすら思っています。


テレビで『野生のイノシシ被害、地元住民悩みのタネ』など放送される度に思い出す出来事でした。



読んでくださった方、ありがとっ♪




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