《精神科病棟の思い出》いつから❝粉洗剤❞?
ここしばらく、報道があったせいか『精神科病棟入院経験』を思い出す。
私は一度しか入ったことはないし、それぞれの病院・病棟ごとにそれぞれカラーがあると聞いている。
私の経験が全ての精神科病棟に当てはまるとは思っておりません。
私がいたのは割としっかり目の隔離閉鎖病棟だったのですが、それよりゆる〜い開放病棟、逆にさらにガッチリの完全隔離病棟が存在しました。
私は暴力親から逃げるシェルターにさせてもらっていたため隔離閉鎖入院でした。
開放病棟じゃ親が怒鳴り散らしながら入ってこられちゃうからね…
そんな隔離閉鎖病棟で私は生活したわけですが、着替えもなく、お金もほとんどなく、洗剤や石鹸もなく…(その病棟は患者自身が自分でお洗濯をするスタイル)
看護師さんに『家族に電話したら』と言われ、電話するも話が通じず。
(後に母が『娘がおかしな妄言を夜な夜な電話してくる!あの子の携帯を取り上げて!』と嘘を吹き込み私は携帯を取り上げられてしまった。さらに、後に母が面会時に暴言を吐き散らし大暴れ。携帯が戻った。)
ちょこっとは気まぐれに母が持ってきたが、そんな数日分じゃ全然足りない…
退院していく『同期』たちが、私にちょこちょこ物資を残してくれた。
『うたちゃん(私)、これやるわ』
『え!もらえません』
『うちの洗濯機、新しいから。
こんな粉洗剤つかわないから。
とっとき、とっとき』
『うたちゃん、暇なとき読み?
これ面白い本だったよ〜
?、
いーの!読み古しなんだから』
『うたちゃん、こっそり食べ?
まぁ私、今日が最後だから…』
本当は禁止なんです。
物の受け渡しって。
もっと言えば、体を洗う石鹸や、歯磨き粉も分けてもらっていました。
私は女性なので生理用品も必要でしたが、入手出来ずに他の患者さんが分けてくれていました。
本当は禁止なんですよ。
ルール違反です。
ただ、他の方から見ても私は『悲惨』だったみたいです。
病院側も私だけに石鹸や洗剤を与えるわけにもいきませんし、かといって『こら!ダメダメダメ!』と強く言うわけにもいかなかったんでしょう。
目をつむってくれていたと思います。
(もちろん一時退院のときはイノシシ捌いたあとに物資をカバンに詰め込みましたよ!←戻ってくるときチェックはいる)
あのとき病棟にいた1/2はおとなしい感じの人でしたね。
あとの1/4が賑やかな雰囲気の人で、1/4がまったく話さない人。
おとなしい感じの人たちは、だいたいご家庭が不和で『疲弊した側』の人たち。
どう言ったらいいかな…
いつもニコニコしていて、
そんなに目立たなくて、
写真とか必ず隅っこで写るタイプの人。
まぁ、だから八つ当たりのターゲットにされやすくて追い詰められちゃうんだろうな…
そんな人たちが少しずつ私に残してくれた。
―自分も大変なのに…
そんな顔を私はしていたんだろう。
『いいの!
うたちゃん家ほどじゃないから!』
私はもう会えないとわかっていて、誰かに何か残せるだろうか?
物だけではなく、私には『たくさん残された』と思っています。
洗濯をしていて思い出しました。
私、
いつから粉洗剤使ってるんだっけ…?
よく考えたら強い香りが苦手なだけで、毎回粉洗剤溶くためにお湯わかしている私って…
そっか。
あのとき『粉洗剤はいいものだ!』とインプットされたんだな…
人から人へ。
物も、
居場所も、
まなざしも。
私にとっては決して❝嫌なだけの場所❞じゃなかったのかな。
もちろんもう病棟には戻らないし、入院はしないに越したことはない。
複雑な気持ちになる『入院経験』だけど、
いま思い返すと私はそれでよかったんだな…
あの辺りは雪が降ったろうな…
あのとき受け取った『たくさん』を私はちゃんと覚えていたい。
医療関係の方だけではなくて、私は患者仲間からも『たくさん』受け取っていたんだな。
だから、それぞれの苦しみが別物であると知っている。
だから、諦めず強く生きてこられたんだ。
受け取った『優しさ』に支えられながら。
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