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ワーホリのリアル!孤独・言葉の壁・仕事の苦労をどう乗り越えたか【後編】



1. 12時間のドライブの先

灼熱の太陽の下、12時間のドライブの末にたどり着いたのは、クイーンズランドの小さな町・Gatton。ワーホリでオーストラリアに来た私は、ここで工場の仕事をすることになった。

だけど、待っていたのは想像以上に厳しい現実だった。

着いた初日は、次の仕事のコントラクター(仲介業者)の家に泊まらせてもらうことに。「家が見つかるまでいていいよ」と言われ、しばらくそこにお世話になった。新しいコントラクターは中東系の人で、ほかに台湾人が2人暮らしていた。ワーホリ5ヶ月目にして、日本人ゼロの環境。

でも、このファームでの生活が、私のワーホリ生活を大きく変えることになるとは、そのときはまだ気づいていなかった。


言葉の壁、孤独、そして仕事のプレッシャー

農場にはすでに働いている人が多く、ほとんどが台湾人。
基本的に使われていたのは中国語で私は会話に入ることができず、彼らと仲良くなるのがとても難しかった。

さらに、仕事も想像以上にハードだった。最初は要領がつかめず、周りの人たちのスピードについていけない。うまくできない自分が情けなくて、帰宅後に涙をこぼした。

「なんでこんなところに来てしまったんだろう」

そんな思いが何度も頭をよぎった。

私が紹介されたのは、工場でのコーンのパッキングの仕事。時給18ドル、勤務時間は深夜2時から昼の12時まで。毎日18時には寝て、1時に起きて仕事に向かう生活。

でも、オーストラリアの暑さのせいでなかなか寝つけず、常に寝不足だった。それなのに、コーンのパッキングはスピード勝負。

台湾人の同僚たちは手際よく作業を進めるのに、私は全然追いつけない。自分の仕事の遅さを痛感し、輪に入れない疎外感を抱えながら働いていた。しかも、私が入ったとき、チームに日本人は一人もいなかった。彼らは私と話すとき以外は中国語で会話し、私は何を話しているのか全く分からない。

話しかけても、彼らは「お金を稼ぐために来ている」という意識が強く、英語を話すのを面倒がっていた。私は、仕事もできず、会話もできず、孤独だった。

そんな私に変化が訪れたのは、韓国人のカップルと仲良くなったことがきっかけだった。彼らは私が入ってから数ヶ月後にやってきた。中国語が分からない私たちは、自然と仲間意識が芽生え、次第に一緒に過ごす時間が増えていった。

韓国語を少し教えてもらったり、彼らのシェアハウスで韓国料理をご馳走になったり。そんな日々の中で、一番の思い出は、ゴールドコースト旅行だった。

ちょうど彼女の弟がゴールドコーストに遊びに来ることになり、私たちは4人でホテルに泊まることに。ホテルの部屋からの景色は最高で、目の前には美しい海が広がっていた。「ずっとここにいたい!」と思えるほどの素晴らしい旅だった。

海へ行き、ホテルでのんびり過ごし、夜はサムギョプサルをお腹いっぱい食べる。ただそれだけの旅だったのに、今でもホテルからの景色をはっきりと思い出せるくらい、最高の時間だった。

台湾人同僚との関係の変化とsisterとの出会い

仕事ができるようになるにつれ、台湾人たちの態度も変わった。以前は挨拶しかしてくれなかった彼らが、雑談をしてくれるようになった。
仕事を一生懸命やっていれば、認めてもらえる事は世界共通だったようだ。

昼休憩も、最初は一人で食べていたのに、韓国人カップルや数人の台湾人と一緒にお弁当を食べるようになった。休日には買い物に誘ってもらい、車を出してもらうことも増えた。

ファームで働き始めて2ヶ月ほど経った頃、韓国人カップルが帰国した。同じ時期に、新しく2人の台湾人が入ってきた。

このときの私はまだ知らなかった。 この2人と、「sister」と呼び合うほど仲良くなるなんて…。

初の印象は正直、最悪だった。笑
英語は話せるけど、台湾人には珍しく仕事が遅くて態度も悪い。今までの台湾人はみんな仕事が早くてやる気に満ち溢れていたのに、彼らは「早く帰りたい」が口癖。

でも、そのときの私は、友人がいなくなり、また塞ぎ込む寸前だった。そんなとき、同じように仕事にやる気がない彼らを見て、つい声をかけてしまった。それが、私たちの関係の始まりだった。

私たちの共通点はまさかの同い年だった。
そしてコスメが好きなこと、将来海外に住んでみたいという夢があったということだった。共通点をみつけてからの私たち3人はすぐに仲良くなった。
小さい事で言えばコスメのこと、大きい事で言えば愛の定義について夜な夜な議論した。3人で旅行に行くことはなかったけど、辛いファーム生活を一緒に乗り越えた仲間。今でも、かけがえのない存在だ。

2.ゴールドコースとでの生活

ファームでの3ヶ月を無事に乗り切り、2年目のビザ申請ができるようになった。申請自体はものの数分で終わったような気がする。
(5年以上前のことなので記憶は曖昧だけど)

当時、すでに申請した人のブログを参考にしながら、自力で申請。
特に問題もなく、無事に2年目のビザを取得できた。(※現在の申請方法は分かりません)

ビザを取得したあとも、私は1ヶ月ほどファームに残ることにした。理由は、お金と仲間たちだった。次の移住先は決めていたものの、仕事があるかは分からなかったので、できるだけ貯金を増やしておきたかった。
そうして数ヶ月生活できるだけのお金を貯めた私は移動を決めた。

苦労した仕事探し

ゴールドコーストでの生活は、またしてもストレスにまみれていた。
それでも、美しい海と、住みたかった場所に住むことができたことで、最終的には最高の時間となった。

私がゴールドコーストを選んだ理由は、韓国人カップルと旅行したときの景色が忘れられなかったから。

ただ、問題は仕事だった。スキルも経験もない私は、何ができるのか全く分からなかった。そこで、手当たり次第に仕事を探すことにした。

最初に決まったのは韓国料理屋さんのウェイターの仕事だった。
トライアルで1週間と言われていたのに、2日で首になった。笑

次の仕事はなかなか決まらず、ネットでも応募してみることにした。
当時、日本人向けの仕事募集サイトがあり、ほぼジャパニーズレストランの募集だった。
しかし、仕事が決まらないと生活ができないので、いくつか応募してみた。面接まで行ったけれど、落とされることもいくつか。

その中で受かったのが「スシトレイン」というレストランだった。
いわば回転ずし屋さん。ジャパニーズレストランのため、スタッフはほぼ日本人だったが、仕事が必要だったのでとりあえず働いてみることにした。
ただ、店長が厳しくて、また枕を濡らす日々がはじまるのだった….笑


仕事以外は最高だった。
3階にプールがついているマンションの22階のシェアハウスに住めたので、景色は最高で、マンションの目の前にはショッピングセンターがあり、食料品や服がすぐに買えた。
海も徒歩圏内だったし、電車に乗ればもっときれいな海が見れた。
東京のように電車もバスも混んでいないから最高だった。
他にもカフェがたくさんあった。おしゃれなところが多く、次々と行きたいところが増えた。

私はその他にも、中国人が経営するレストランやオーストラリア人が経営するサラダボウルのお店でも働いた。この2つは週に1回とか2週間に一回の仕事だったので、主な収入源はスシトレインだった。

ウェイターの仕事を通して、最も嬉しかった出来事

その3つの仕事をしている中で、一番大変ででも一番嬉しかった出来事は、チップで10ドルをいただいたことだ。
オーストラリアではチップの文化はなく、基本的にチップはもらえないのだが、私が最初で最後にもらったチップの話をしたい。

その日は12月25日で、たいていのレストランが閉まっている中、中国人が経営するレストランは開店していた。
レストランは観光地にあり、たくさんのお客さんが訪れていた。
その日、ウェイターは私だけだったにもかかわらず、お客さんは20組くらいいた。
席はあったけど、注文を聞くことと提供でかなり時間がかかり、帰ってしまうお客さんもたくさんいた。「
いつになったら注文したものが来るの?」、「うなぎってどんな味?」そんな質問にも素早く丁寧に対応し、怒って帰ってしまうお客さんには頭を下げた。店長が不在だったのもあり、クレームも私が聞いていたが、そんな時、一人の女性からチップをいただいた。
「とても忙しいのにテキパキ働いていてすごいわ!頑張ってほしいからこれ受け取って」といただいた。
私は本当に嬉しくて、この出来事は今でも私を支えてくれている。

3.ワーホリを通して学んだ事

ワーホリの2年間は、楽しいことばかりじゃなかった。
でも、確かに言えるのはあのときの自分がいたから、今の自分がいるということだ。

英語が通じなくて泣いたこともあったし、孤独感に押しつぶされそうなこともあった。
でも、あの経験がなかったら、私はこんなにも強くなれなかったと思う。

山あり谷ありだった私のワーホリ生活は、そんなこんなで終わりを迎えた。正直、数え切れないくらい泣いた。孤独感や焦燥感、自身をなくすことが毎日あった。
英語が伝わらなかったり、聞き取れなくて苦悩したことも数え切れない。
それでも私はワーホリに行ってよかったと今も思っている。なぜなら、この経験は日本にいたら味わえなかった経験だし、自分の自信になったからだ。考えてみてほしい、日本に住んでいたら言語の壁で悩むことはないし、知り合いが一人もいないという状況にはならないだろう。
辛い分、乗り越えた時には自信を得ることができた。
今思うともっと英語勉強しておけばよかったとか、ローカルの仕事をもっと応募してみればよかったとも思うが、ワーホリにいくという選択をした私を今はただ讃えたい。

もし、今何かに迷っているなら、少しだけ勇気が必要な方を選んでほしい。
きっと、その一歩があなたの世界を変えてくれると思うから。


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