
大晦日のぎっくり腰と大殺界ーー“光を見る”癖をつける
あけましておめでとうございます。
大晦日、フロリダにいる義父に会うために乗った飛行機の機内でまさかのぎっくり腰に。フロリダでは90歳を超える義父よりも動けないという、なんとも意味深な年越しとなりました。
私は何事も多角的に考えるのが得意なので、マッサージセラピストの友人から、体のどの部位を痛めたのかと解剖学的なアドバイスも受けましたが、同時にスピリチュアルな視点でも考えてみました。
すぐに思い至ったのは、2025年から私の星が六星占術でいうところの「大殺界」に入ること。12周期でもっとも運気が低迷し、不運な出来事が立て続けに起こるという3年間。せっかちな私の魂が、2025年を迎える前日からその予兆を体験させてくれたのかもしれないと思いました。
(六星占術の周期。細木数子さんの時代には大ブームでしたが、今はどれほどの人が意識しているのでしょう?ちなみに私は15年前に本を買って以来、周期だけ横目でチェックしています)
過去の大殺界を振り返ると散々で、前夫との離婚がこの時期でした。しかし不思議と今回は、「大晦日にぎっくり腰になっておいて良かった」と思うことができました。この思考の切り替えこそ、2024年にゴリゴリと取り組んできた内観の成果です。
私は意識していないと、「あるべき状態」を勝手に想定し、そこに達していない部分ばかりにフォーカスする癖があります。その癖を抱えたまま大殺界に突入すれば、少しだけついていない出来事でも、「大殺界だから」と余すことなく、いやむしろ過剰に受け取り、ネガティブな体験を宇宙が想定した以上に満喫してしまいかねません。
自分と同じ周波数の出来事・人・ものを引き寄せる「引き寄せの法則」的観点からも、それは避けたいところです。
これまでの内観の旅を通じて、苦しみも含め、すべての出来事には表と裏があり、どんな経験も必ず役に立っていることを学びました。"良い時期"があるなら、その反動として"悪い時期"があるのは当然。どれだけ周波数を上げようが、次元を上げようが、避けられないものはある。大切なのは、それにどう向き合い、どう流していくかだなと思いました。
ふと考えました。もし本当に今年から大殺界だったとしたら、これまでの「財成」「安定」といった良い時期を、私はちゃんと満喫していたのか?……いいえ、していませんでした。せっかく開かれた扉に手をかけてチャンスを掴んでも、生来の思考癖で新たな問題を生み出し、悶々とし、人生が行き詰まって(いるように感じて)いたのです。
私はネガティブなので、「闇」に気づくことが得意です。そして視野が広いので、その闇から気づきを得ることにも長けています。でも、「光」には鈍感で、すぐに打ち消そうとしてしまいます。
まるで「闇よ来い、かかってこい、受けて立つぞ」と、悪い出来事を見落とすまいと好戦的に待ち構えながら、良い出来事には軽くハイタッチで済ませるか、気づかずスルー、もしくは粗探しをして出直しをさせてしまうかのようです。
そんな自分の思考癖を自覚すると、大晦日にバカンス到着前にぎっくり腰になったことも、ある意味でラッキーな出来事だったと捉え直すことができました。
というのも、私はバカンスが苦手なのです。太陽、音楽、酒、水着……多くの人が心躍らせる場所に行くとなると、「ちゃんと楽しめるだろうか」と不安になります。「楽しめている風を装わなければ」「水着姿を気にしてはいけない」と、ぐるぐる考えてしまう。そんなつまらない人間にはなりたくないけれど、心のどこかで「バカンスは全力で楽しむのが義務」のように感じてしまうのです。
そんな私にとって、今回のフロリダ4泊は最高でした。ギックリ腰で動けないのをいいことに、元旦は義父の家で療養し、夕食は近所のピザダイナーで手軽にフロリダの陽気な空気を満喫。2日には動物園で普段見られない大型ネコ科動物をじっくり観察し、3日はハイキングで野鳥の貴重な捕食シーンを目撃。
適度な徒歩により腰はほぐれ、帰りの機内では痛みも悪化せず、スムーズに帰宅できました。
老化を感じて落ち込みもしましたが、それ以上に、そんな私との休暇を嫌な顔ひとつせず過ごしてくれた旦那に感謝しました。私の腰が万全だったら予定していたボートやプールも、彼にとっては重要ではなかったようで。王道のバカンスを楽しまずとも、動物好きの私たちらしい時間を過ごせたことが、何より価値あることだったのです。自分でいうのは恥ずかしいですが、旦那との相性の良さを今更ながら感じました。
今年から始まる大殺界。
私は、この調子で「光」を見ていきます。差し迫る「闇」を無視するかのような姿勢では、両足をしっかり地につけられないかもしれません。それでも、光を見る癖をつけたいのです。リスクを予期して万全な体制で回避するより、まったく予期せずとも身軽に受け流せるか、うっかり気付かないぐらいになりたいのです。
アメリカは連日 -0°C以下の強風。家が不気味に揺れる音や、裏口の戸を開けた瞬間にガラスが曇る光景に、家にいられることのありがたさを感じます。
ぎっくり腰のおかげで、ヨガ中の30分よりも、座ったり歩いたりする姿勢に気をつける16時間のほうが、体にとってずっと影響力があり大切だと気づけました。
2024年にnoteやYouTubeの方向性が決まったので、2025年はそれを迷わず実行していく年になります。すぐに結果が出ない厳しい時期が続くかもしれません。無収入が長引けば、罪悪感も湧いてくるでしょう。それでも、「クリエイティブな活動と両立できるパートタイムの動物看護師の仕事」がすぐ見つかるとは限らないのだから、今ある自由な時間を心から堪能する気持ちを忘れないようにしたいと思います。
唐突な締めですが、今年もよろしくお願いいたします。