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愛に揺れ動く青春物語ー『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』
どうも、 こうきです。
先日の5月1日からNetflixで配信されたばかりの『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』。監督は2004年公開の『素顔の私を見つめて…』で注目を集めたアリー・ウー。
美しい田舎町ならではの描写を背景に、複雑な思春期の心の変化、愛とは何か、という非常に難しい事柄をうまくまとめ上げていた。
その中で最も大きなテーマである愛とは何か。この難しいテーマに同性愛的視点も交えた作品なりの答えが素晴らしかった。
さらに言葉を伝えるうえで大切なことも学べる。こうした本作を紹介する。
※以下ネタバレを含む。
あらすじ
舞台はアメリカの小さな田舎町。シャイで内気、成績優秀な女子高生エリー・チュウは、同級生の多くからレポートの代筆を有料で行っていた。
ある日、エリーはフットボール部のポールからラブレターの代筆を依頼される。
その相手はエリーが密かに思いを寄せている美少女アスターだった。
一通だけ書き終わるつもりが、アスターの文学的返しに火がついたエリーはその後もポールの代筆を続ける。
メールでのやりとりも通して急接近していくポールとアスターだったが、エリーの心の内は複雑で、、。
感想①ストーリー・描写
物語の始まりはプラトンの『饗宴』で語られる愛の起源。
むかし、人間は、男性、女性、男女性の3つの性をもっていました。その形は球状で、頭が2つ、手が4本、足も4本。2つの頭で前も後ろも同時に見ることができ、4本の足で前にも後ろにも歩くことができ、4本の手をいっぺんに使うこともできました。
ついには、神様たちを脅かすまでに勢力をのばしてきました。困った神様たちは、人間の力を弱めるために、からだを半分に切り離すことをきめ、人間を2つに裂いてしまいました。
<男性>と<女性>の2つの性にわけられてしまった人間は、さみしくてたまらず、切られた分身ともう一度、いっしょになりたいと強く願うようになりました。
しかし、悲しいかな、顔の向きと手足の向きが反対になってしまっているので、ようやく会えた分身と抱き合う時は後ろ向き。その具合の悪いことといったら。それではと顔とおへそを向き合わせれば、今度は抱き合うことができません。
かわいそうに思った神様は、頭と手足と性器の向きを直してあげました。男と女はしっかりと抱き合うことができ、やがて子どもを生むようになりました。<男と男><女と女>に切りはなされた者も、その切り口をあわせて元気に生きていきました。(岩波文庫、久保勉訳)
この始まりに加え、この物語の中で多くの愛の定義が登場する。その言葉がこの物語を考えるうえで重要な要素になっていく。
ポールの代筆を頼まれたエリーは最初引用を用いて手紙を書く。その引用をアスターに見破られたことで手紙のやりとりが頻繁に行われるようになる。
どんどんポールとアスターの距離を縮める役割を担っているエリー。心のどこかでアスターへの愛を感じながらも、むしろ彼女の内心は理解し合える友達がいたという事実で満たされているように感じた。その気持ちに気づかないフリをしてポールとともに彼女を深く知っていく。
しかし、2人の関係が確実なものになったことでその心情は複雑に変化していく。この2人が結ばれた様子を店の外から眺めるエリーの表情が切なくて苦しい。
その後もポールのサポートを続けるエリー。アスターともポールの友人として直接関わるようになっていく。
この温泉でのシーンは本作の中でも群を抜いて美しい描写だと思う。
アスターに好意を持つエリーは服を脱ぐ彼女を直視することができず、自らは服を着たまま温泉に入る。この初々しいエリーの様子に癒される。
またこのシーンでエリーは「引力とは孤独への反応である」という。この言葉は始まりで語られたプラトンの定義と似ていると感じた。
互いに引き合う、そうした関係こそが愛なのだと。この時点でエリーはそう考えていたのだろう。
3人の関係はいい方向に進んでいるように思えたが、試合に勝利した喜びからかポールがエリーにキスをしてしまう。
しかもその様子をアスターに見られてしまう。これで3人の関係は三角関係となり、アスターが好きだというエリーの気持ちもバレてしまう。
こうしてバラバラになった3人は愛とは何なのか、大きな損失感を持ったまま物語は終盤へ。
教会で元彼からプロポーズを受けるアスター。そのプロポーズを受けようとしたとき、ポールとエリーが神の前で話始める。
ポールは自らを偽り、結果的にアスターを騙していたこと、エリーはアジア系という教会におけるマイノリティでありながら同性愛者であることを告白する。
この中でエリーは「愛は厄介でおぞましく利己的、それに大胆」と発言する。これは同性愛者であり、その内を明かしにくいこの社会で生きるエリーだからこそ言えることだと感じた。
感想②メッセージ
劇中では多くの文学的言葉が引用され、物語に深く関わっている。
オスカー・ワイルド
In love, one always starts by deceiving oneself...and ends by deceiving others. This is what the world calls a romance.
「自分を欺いて始まり、他人を欺いて終わる。それが恋愛だ。」
プラトン 『饗宴』
Love is simply the name for the desire and pursuit of the whole.
「愛とは完全性に対する欲望と追及である。」
サルトル
Hell is other people.
「地獄とは他人である。」
こうした言葉たちがラストに指し示すものからこの物語のメッセージが伝わってくる。
それは「自分の言葉で伝えることの大切さ」である。
どれだけ偉人の文言で綺麗事を並べてもそれは結局偽りでしかない。
どれだけ不格好でも、自分で考えその人に対する素直な気持ちを直接伝えることで相手に理解される。
ポールはアスターに告白するときは自分の言葉で率直な気持ちを伝えていた。それまでの過程で偽っていたことに代わりはないが、結果付き合うことができた。それはきっとアスターに対するポールの本音で、エリーの助けのみでは成り得なかったことである。
ラストの教会でのシーンもポールとエリーはともに自分の言葉で告白していた。とっさの判断でも自分で考え取った行動や話した言葉に価値があるのだと、そう伝えてくれている。
SNSをはじめとしたインターネットの発達で私たちは言葉を見失いそうになってきている。ネットで検索すればなんでも出てくるこの時代は、コピー&ペーストも容易でレポートをはじめとした自分の言葉で書くことが大事なことでも簡単に逃げてしまう。
その結果生まれたものは中身のないもの、殻だけついている不甲斐ないものになる。
そうではなく、たとえどれだけ不自然でも、意味が伝わるにくくても自分の内にある言葉で伝えることが大切なのだということ。そんなメッセージが本作から伝わってくる。
ラストのシーンで3人はそれぞれ別々の道を進むことになるが3人とも自分に素直なやりたいことを行おうとしている。
エリーは大学へ、ポールは自分のタコス・ソーセージのお店を出し、アスターは美術学校へ。
思春期という、心が揺れ動く難しい人生の期間に、自分に素直になることの大切さを理解した3人はきっと、これから素敵な人生を歩んでいくだろう。
おわりに
LGBTQを交えた三角関係の映画だと聞き、ドロドロの展開になるのではと思っていたが、そんなことはなく見終わった後心が優しい気持ちで満たされた。
愛とは何か。
それは人それぞれの多様な形があり、ステレオタイプのものでなくてもいい、自由である。
これが本作の答えだと感じた。どれだけ偉人の言葉を並べたとしてもそれは綺麗事。
それを示す描写として序盤から真っ黒な画面に偉人の言葉の引用がされ続けていたシーンで、ラストの2シーンではエリーの言葉と絵文字が綴られていた。
私も普段から文を書く機会が多い身で、このブログをはじめ、大学のレポート、これから就活が始まるとESなども書くことになる。
その身としてもこの映画は大事な根本的ものを示してくれるものとなった。
本作から学んだことを忘れずに、自分の言葉を大切にしようと思えた。
そんな単なるロマンス映画ではなく、現代的で社会的な本作をぜひ多くの人々にみてほしい。
画像:© Netflix