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読書感想文#4 『思わず考えちゃう』ヨシタケシンスケ


◽️まとめ


「ついつい考えすぎちゃう」ヨシタケシンスケ氏がスケッチと共に書きとめた、ときに笑えて安堵して共感するエッセイ

◽️所感


私も思わず考えちゃうタチなので、タイトルに惹かれて手に取った1冊

朝起きてから夜眠りに落ちるその瞬間までたくさんのことを考えに考えて過剰に凹んでしまう私を肯定されたくてヨシタケシンスケ氏に助けを求めた、と言ってもよいです

「その時その時にその場にいない人を悪者にしながら、なんとかのりきっていこうじゃないか」p.34

わたしって、どこか自分に対しても偽善者な部分があると思う
例えば、心の中でさえ誰かを悪く言うことに躊躇いを感じるし、イラっとしても そしてそれが間違っていなくても、そういう感情を持つことにすごく過敏で、否定的なのです

だからそういう、そのときはグッと耐えられる気持ちが次第に積もって溢れて息ができなくなってしまう

毒抜きができていないというか

だから、その場にいない何かを悪者にして
ありがたくその存在のせいにしてしまいたい、
そんな処世術を身につけたいな、ということです

多分わたしは“誰か”に対して悪く思うことは
ストレスになってしまう気がするので
天気とか季節とか、そういった類を矛先にさせていただこうと思っています

「最も自分にとって遠い所、物っていうのが、世界の裏側まで行かなくても、もう家の冷蔵庫の中だけで一杯あるわけです。」p.46

私の場合、私にとって遠いはずだったものが自分に起こってしまった そんな嘆きをこのエッセイに載せたくて

とあるアーティストが「頑張りたくても頑張れないことがいちばんつらい」というようなことをどこかで言っていたと思うのだけど

これまで全くピンとこなかったそんな言葉を
はっきりと思い出してしまうぐらいには
最近、この言葉に悔しくも共感している

頑張りたいときに頑張って
頑張りたくないときにはほどほどにこなして
そうやってうまくやってきた

頑張りたいときに頑張れた、
それってすごく恵まれていたんだなとやっと、気づけた

頑張りたくても頑張ってはいけなくなりそうな今
どうその思いと向き合おうか、考えあぐねています

自分の弱さを飲み込む強さを身につけないとなぁ

「本当に今しかないことなのにっていうのは、わかってはいるんだけれども。こっちが面白がる余裕がない。」p.59

昨年からいろんな思いをして、いろんなことを考えた結果、「今」に向き合うことが答えかなと思うようになってきたのだけど

なかなかそれが難しい

もちろん「今」が良ければ、それに越したことはないとも思う

でも、「過去」も「今」も「未来」も
すべて地続きで、自分の責任で、

だから「未来」のための「今」にしたいと思ってしまう
「今」を「未来」の投資にしたいと思ってしまう

たぶんそれも正解なのだけど、
うまくいかない
空回りしてしまう

実態のわからない「未来」のために、と意気込みすぎて、「今」を犠牲にしてしまう

「今」しかないことを「今」面白がれるのって奇跡だよなあと

その最たる例が、私にとっては趣味で、
もっと言えばライブで

まさに「今」しかない生ものであって、
その「今」に全身全霊を捧げられるライブが大好き

これまでは何も考えず両手放しで楽しみ尽くしていたのだけど、最近はかなり奇跡的な幸せだなと実感できるようになった

できないことが増えた今、できるようになったこと

「大人になると幸せのインフレが起きるわけですよ。」p.71

ビビッときた

グサっときた

そんな言葉でした

私もずっと、大学生になったあたりからぼんやりと思っていたことをはっきりと言語化してもらった感覚

幸せのインフレが起きてしまっていたんだよなあ

開催発表があるだけで嬉しかったのが
1公演だけでも会いたいと思うようになり、
複数公演行きたいと思うようになり、
より近い席で見たいと思うようになり…

ライブひとつ例に挙げても、幸せのボーダーラインがわかりやすく上がってしまった

ちいさなささやかな幸せに気づける人でありたいと思うようになった

と、思っていたら、病によりデフレに向かいつつある様子

今まで当たり前だったことに感謝できるようになってきました

この病の授かりは、幸せのインフレへの打開策と思うことにしようか

「物語をあっという間に自分の都合のいいように作ったんです。」p.73

自分の人生って自分の物語でいいんだよな
っていう“それっぽい”ことを思ったりした

私はとても素直で吸収力が高い人間です

いろんな人の意見の良さをすぐ見つけられるし
影響も受けやすくて

その素直さと吸収力を持ってして、
自分の都合のいいように解釈したらいいのに

なぜか
悪い方にばかり影響されてしまう

素直ゆえ、鋭い意見もしっかりと受け止めてしまう
極端なものも偏ったものも、等しく自分のものにしよくとしてしまう

いろいろなものを素直に受け取っても、
そのすべてを受け入れる必要はなくて
都合いいように選べたらいい

自分を守るための都合よさを身につけたい

「世の中、思い通りにいかないことも悲しいこともたくさんあるけれど、探してみれば、見ようによっては、身の回りのどうでもいいことをいくらでもおもしろがることができるじゃないか」「世の中捨てたもんじゃないかもしれないじゃないか」と。p.87

目の前に圧倒的に大きな悲しいことが現れても、
その隙間にあるわずかな面白いことに目を向けられたら

取るに足らないことを、存分に面白がれたら

もう少し私は生きることを楽しみに思えると思う

目の前に立ち塞がる悲しみに、必要以上に目を取られていたらもったいない

たとえ、目の前99%が辛いことで埋め尽くされていたとしても、残りの1%の面白いことを100%楽しめたら、それでいいんじゃないか

「何でもできるようにするんじゃなくて、自分ができないことっていう短所を、どう長所に変えるかみたいな部分が、案外、誰にとっても大事なんじゃないかなと思って。」p.93

これは私が社会人になっていちばん成長したと感じるところでもあるのだけど、

「できないことはできなくていい!」

と開き直れるようになったことです

学生時代はオールマイティーを目指して奮闘していたし、実際「なんでも卒なくこなす」タイプで

できることは多い方が格好良いと思ってました

でも社会に出て、私の上位互換がたくさんいるなかで
この「なんでも7割屋さん」みたいな在り方は
ちょっと潰しが効かないなと察することができた

A領域は120%、B領域は0%ぐらいに、
振り切ってしまった方が評価されやすい、重宝されやすいんじゃないかと思ってきたわけです

「なんでも卒なくこなす」ことに懸命だったので、「A領域は120%、B領域は0%」を実行することも、卒なくこなし中で

最近は、振られる仕事も「私だから」という偏りが感じられて、得意を尖らせられそうな兆しに、わくわくしてます

私のできないことなんて、できる人がたくさんいるわけだからと開き直って、自分のできることにフルコミットするのがチームメンバーの1人の責任かな、とも思ったりしてます

補い合って完成させられたらいいじゃない

「幸せっていうものの概念をいろいろ考えたときに、結局、何かがはっきりするとき、何かを決めた瞬間が一番楽しいんじゃないかなって、結論になりました。」p.99

逆説的に、なにか不確かなものグレーなものを抱えてるときの不安や不満ってすごいもんなあと思い、すごく共感した

何かがはっきりしたとき、
それが明るい結果でも暗い結果でも、
ひとまず白黒ついたことは幸せだと思う

「諦める」の語源は「明らめる」だと
聞いたことがあるけど、
それならば「諦める」ことも幸せなんじゃないか

そう思えました

というのと、これを踏まえて

辛い苦しい不幸せだと感じるときは
思い切って何かをはっきりさせてしまうのも手かなと

何か決め切ることで、
拓けたり諦めたりするものが生まれるわけで
それは幸せのひとつだから

不幸せなとき、何か不確定なものを抱えているとき
ズバッといってしまいたいな

という願望です

「選択肢がものすごくたくさんあるときって、逆に、もう何か不幸なんですよね。(略)可能性がたくさんあることが苦しみだったんです。」p.100

これまでずっと「選択肢が多ければ多いほど幸せだ」
と信じて疑わなかった

だから、決断の軸は「将来より多く選択肢が増やせる方へ」でした

でも、どこか不安だった
軸に沿って最善の決断をしてきたはずなのに
なぜか辛い、怖い

信じてきた軸が、違ったかもと気付かされた文章でした

「選択肢が多ければ、幸せを選び取る確率も高まる」

これが私のロジックだった

もしかしたら、そうではないのかもしれない

選択肢が多いということは、検討事項が多いということ
つまり不確かなことがあり続けるということ

不確かなことがあるのは不安定で、幸せではない

幸せでいるためには、
身の回りをはっきりとさせておくこと、
検討事項を残し続けないこと、
検討の余地、つまり選択肢を無闇に持たないことが
鍵になるんじゃないかと
思わされました

今あるものを増やし最善を見出すのではなく、
今あるものを最善にしていく

その気概を私は身につけたら
少しずつ不安を減らせるような気がしてきました

「このこどく感はきっと何かの役に立つ。役に立たない訳ないじゃないか。こんなにモヤモヤしてるのに。(略)いろんな紆余曲折があったけど、結局あの道は通ってきてよかったと思うんだよって、いい年になると、みんな言うわけです。」p.103

今の辛さも苦しさも、情けなさもいつか振り返ったときに「あの道は通ってきてよかった」と思えるだろうか。

将来思っていないにしても、
今「将来そう思えているかもな」と思うことは
すこしの救いになったりして

いつか何かの役に立つのなら
もうしばらく今の辛さも呑気に抱えていようかなと
思えたり、思えなかったり

「いくつになっても、あの頃の自分の味方で、理解者でいてあげたい」p.127

これは本当にそのとおりで

時を経ていろんなことに遭ってどんな自分になっても
自分は自分のいちばんの味方で在りたい

これまで、全く疑わなかった

能天気で楽観的で、あらゆることに恵まれていた私は
自分が自分の味方でいるなんて、あまりにも容易いことだと思っていた

ただ、大きな挫折をして

そんな自分を、その選択をした昔の自分を
認めて、讃えてあげられなくなってしまった
味方でいられなくなってしまった

誰よりも私が、私を理解してあげたいのに
それができない苦しさを知った
それができることのありがたさを知れた

弱くても不完全でも
どんな自分をも理解する、味方でいたい

「自分がこうしたいっていうものが、どうしようもない力で、ぐいって変えられたときにどうすればいいんだろうって、(略)もしそうなったら、その時できることをすればいいだけだよね、そうなったものを、つくればいいだけだよねって。自分に言い聞かせています。」p.129

まぎれもなく“自分がこうしたいっていうものが、どうしようもない力で、ぐいって変えられた”から
この言葉にどうしようもなく救われたわけです

1年前、さらにはもう少し前から
こうなったらいいな、こうしたいなと
見つめていた扉に

じわじわと靄がかかっていったような思いで過ごしていたから

いまだに途方に暮れている
どうしたらいいかわからない

思い描いていたことを
今のあなたにはできないと
烙印を押されたような思いでいる

夢見た私だけが、取り残されている
どうしたらいいかわからなくて

でもだんだんと、わかってきた

この病とうまく折り合いをつけながら、
この病付きの正解を作っていかなきゃいけないと
思い始めた

今は言い聞かせているだけかも

いつかそう、心から思えるかも

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